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「小袋石」諏訪七石 茅野市高部 14.4.29

上から見た小袋石 上から転がってきたのか地中から湧き出たのか、「なぜこんな所にいるんだ」と居心地悪そうに座っていたのが「小袋石(おふくろいし)」でした。
 「諏訪七石」と呼ばれる巨石の基部には、雨が降らなければ消えてしまいそうな水の流れがあります。カエルの雄と雌でしょうか。どこからともなく、高低二つの互いに呼びかけるような鳴き声が聞こえてきます。かがんでその辺りを注視しますが、その姿はありませんでした。

小袋石
 諏訪七石の一つで磐座(いわくら)信仰遺跡である。別名「舟つなぎ石」ともいう。高さ六間五寸(12.3メートル)、横四間二尺(7.8メートル)と古図にある。小山のような石である。小松数本が岩の割れ目に自生し、頂上に舟をつなぎやすい形が見られる。太古、諏訪湖の水がここまでついていて、舟をつないだと言い伝えられている。
 小袋石の下方に石の祠があり「磯並社」である。大祝(おおほうり)職位のときの「上十三所御社参」の重要祭場の一つ。近くに瀬明神・穂股明神・玉尾明神もあったという。古図によれば神事屋・舞台・五間廊・帝屋などがあって、旧暦三月午日の祭りには草花でかつらをつくり額にかける風習があった。

 これは、現地にある案内板をそのまま転載したものです。その中の「諏訪湖の水がここまで浸いていて…」の件(くだり)は、あくまで「言い伝え」ですから、それにイチャモンをつけてはいけません。

小袋石 しかし、茅野市街をはるかに見下しながらここまで登(上)ってきましたから、五千年単位の過去形でも「湖面がここまでという話はないだろう」と言いたくなります。「太古」という次元では説明がつくそうですが、それは“八ヶ岳原人”以前の話になります。
 また、「舟を繋いだ」には、「もう少しマシな話を考えてよ」とぼやいてしまいます。烏帽子状の突起にせめて穴でも開いていれば納得するのですが、見た目では絶対に綱を引っかけることはできません。「夢があって」とか「ロマンあふれる」から余りにもかけ離れた次元ではないか、と“母”に対する反抗期のように、やっぱりイチャモンをつけてしまいました。
 案内板には「あった(今はない)」としていますが、小袋石のある斜面には「磯並社」「瀬社」「玉尾社」「穂股社」の石祠が散在しています。

 高部歴史編纂委員会『高部の文化財』の〔高部の地形と集落の概観〕から、「小袋石」に関する部分を抜粋して紹介します。

 小袋石が舟つなぎ石だったという伝承がある。断層湖である諏訪湖は釜無川で東に流れていたが、八ヶ岳の噴火による火砕流で富士見峠が埋まり、大きな湖となったのである。それが天竜川へ流れ、周辺の河湖成段丘からみて、湖面上約八〇m、約五〇m付近の停滞を経て現在の湖面まで水位が下がったといわれる。(田中阿歌麿著『諏訪湖の研究』)
 磯並の標高(約870m)を地図でたどっていくと、木舟、大池、舟久保などがある。同じ頃同じように諏訪湖の水がたたえられていたのであろう。

 国土交通省国土地理院『地図閲覧サービス』で、全国の2万5千分1の地図をモニター上で表示できます。「まさか」と思いながらマーキングした地名を等高線で追うと、確かに同じ標高でした。県道から下馬沢をさかのぼる道は結構急なので、「小袋石の標高はかなり高い」と信じ切っていました。そのため、「諏訪湖の水がここまで浸いていて」は突拍子もない話と思っていました。
 先入観の呪縛から解放されると、通勤途中の「木舟」や旧名「(ラブ)ホテル大池」の付近まで諏訪湖だった、と肯定できるようになりました。ただ、地名は他の要因でも説明できるし、何よりも、その時代にはまだ人間は存在していなかったと思われます。まー、神世の話としておきましょう…。


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