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御賀摩殿(下十三所)

 諏訪大社本宮の「摂末社遙拝所」に、35番目として「御賀摩殿(おかまどの)」があります。ただし、「賀摩=竈(かまど)」なので、社殿や祠はありません。

 守矢家諸記録の『十三所造営』に、

御賀摩 辨財天 此御神者(は)春出冬御室仁(に)(こもり)御座也、御釜塗御薪御酒散供等之事何毛(いずれも)(常?)禰宣役也
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

とあり、「御賀摩は火地炉の〈釜殿(どの)〉でカマド。御室神事の記述で、〈塗る〉は、石の間に新しく赤土を詰める。祢宜家が担当」と解説がありました。
 御室に籠もった釜神は「春になると出る」とありますから、武井正弘著『年内神事次第旧記』から「御釜」の文字を拾ってみました。(○○)は私の補足、【○○】は『旧記』の注釈です。

(12月)廿四日、(中略)かくて御釜の御手幣八(中略)御釜木両方へ四つゝ(後略)
【釜木】たきぎ。神饌を炊くための薪の呼名。
十二月晦日、御室へ参て(中略)年神・釜の神の御盃の式退(体)有、(後略)
【年神・釜の神】年神は稲の神、両神とも御室に迎え祀るが、年の終わりに新しい神と交代する。
(3月)(うし)日は前宮御神事、(中略)神事先(まず)、神殿御釜の前にて御手幣参、(後略)
【御釜の前】御室の神殿撤去により、歳神とともに御釜神も前宮に引っ越すが、そのため御釜前の式が行われた。
(3月)辰日は(中略)祢宜送りの朝、神殿御釜の御前へ、祢宜・神長参て(後略)
【祢宜送り】御室の御釜前の神事。

 「注釈」を参照すると、釜神は、御室の神事が終わると(大祝が居住する)神殿(ごうどの)に移されたことがわかります。「御室神事」が廃絶した後は、神殿内の竈に“常駐”したのでしょう。

 神殿は戦国時代の終わりに前宮から宮田渡に移転しましたから、釜神も、現在の「旧大祝邸」の台所に祀られていたと思われます。そのため、「御賀摩社(跡)」を前宮や本宮周辺で探しても、見つけられなかったのは当然のことでした。