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温泉寺の石之御座多宝塔(御鉄塔) 諏訪市湯の脇

 諏訪湖の東・上諏訪駅の東北「湯の脇」に温泉寺があります。字(あざ)と寺の名から分かるように「温泉寺の境内には混浴の露天風呂が」…というようなことは(残念ながら)ありません。

温泉寺の御鉄塔 温泉寺は、高島藩主諏訪氏の廟所や守屋貞次の石仏があることで知られています。しかし、このサイトは『諏訪大社と諏訪神社』ですから、多宝塔が対象となります。
 諏訪大社の前身である諏訪神社上社の御神体ともされた「石之御座多宝塔」が、多宝塔の中に安置されているからです。


 多宝塔の前にある案内板から転載しました。

諏訪市有形文化財 温泉寺鉄塔
 鉄塔とはいうものの石造であり、もともとは諏訪大社上社の御神体とし、拝殿の奥に安置され信仰の対象であった。鉄塔は弘法大師が建てられたが、腐朽したため源頼朝が再興したといわれている。
 寛永八年(1631)高島藩主諏訪忠恒が石造にて復興し、この仏舎利を祀った。明治初年の神仏分離により撤去放置されたのち、湯の脇天神山に移し、一社を設け祀る計画もあったが国学者の反対で実現をみることができなかった。藩主の菩提寺である温泉寺に移され安置することに決まり、今日に至ったのである。現在の多宝塔に納められたのは昭和五十四年だった。
指定 昭和46年2月12日 諏訪市教育委員会 
文化財の名称は「温泉寺鉄塔」ですが、このサイトでは「石之御座多宝塔・御鉄塔」で表記しています。

上社古図の御鉄塔 江戸時代初期の作と伝わる『上社古図』に、この御鉄塔が描かれています。ここでは神長官守矢史料館蔵『復元模写版 上社古図』ですが、幣拝殿の真後ろという位置にあるので、案内板に書かれた「もともとは諏訪大社上社の御神体」がよく理解できます。

温泉寺多宝塔 '02.5.19

温泉寺の多宝塔 諏訪神社(現在の諏訪大社)上社の頂点から一気に転がり落ちた御神体見たさに、温泉寺へ出掛けました。
 読経と木魚の音が洩れる本堂を横にしてさらに奥に向かうと、多宝塔の前に出ました。しかし、基壇上は柵で囲われており、扉も閉まっていました。
 一旦戻り、開いていた庫裏から声を掛けますが、反応がありません。ようやく奥から現れた女性に拝観を申し込むと、困惑したような「聞いてきます」の声が…。この時に、初めて、上の墓地で見た黒服の一団と駐車車両の多さが本堂の読経に重なり、今は法事の最中だと気が付きました。慌てて「また出直します」と断り、温泉寺から引き揚げました。

「御柱(おんばしら)」がある温泉寺 '06.11.4

温泉寺「御柱と風鐸」 温泉「寺」にいきなりの「御柱」では何事かと戸惑うかも知れませんが、写真は、多宝塔の「御柱と風鐸」です。
 かつての諏訪神社上社の御神体が納められた縁で、「お寺なのに御柱」というわけです。私には割り切ることができない光景ですが、温泉寺の公認ですからやむを得ないところでしょうか。

温泉寺「多宝塔と御柱」
三之御柱二之御柱

 左手前にある、一見立木に見えるのが御柱です。ここには写っていませんが、当然ながら多宝塔の周囲には4本の御柱が建っています。
 温泉寺には「和泉式部の墓・守屋貞治の石仏・高島藩主の廟所」など多くの見所がありますが、ここでの紹介は省きました。

御開帳「石之御座多宝塔」 '16.11.6

 新聞に「諏訪御鉄塔大明神御柱大祭」と書いてありますが、私には、何とも奇妙な名称に映りました。それはともかく、御柱祭ということで、石之御座多宝塔が御開帳されることを知りました。

温泉寺御鉄塔 さっそく温泉寺に駆けつけて拝観しましたが、全高が2.7mもあるので、下からアオってようやくカメラに収めることができました。
 これで、『温泉寺の石之御座多宝塔』をアップしてから実物を見るまで、…14年かかったことになりました。

温泉寺の御鉄塔 塔身に彫られた銘ですが、読めないので、写真のみとしました。