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最後の大祝(おおほうり) 14.10.10

 諏訪市神宮寺公民館の館長が、新聞記事のコピーを添えて知らせてくれました。

ご存知かと思いますが、(平成14年)9月1日に諏方弘さんが亡くなり断絶してしまいました。大祝としては20代(不明)くらいでしょうか、これからはこの地をどう管理していくのか、諏訪市の考え方次第だと思います。大樹茂る良き光景は今後も守っていきたいものです。

 「世が世なら」と思わず書いてしまった、“最後の大祝”となった人の旅立ちでした。人伝(づて)に聞いた話なので詳しくは書けませんが、悲劇的な終焉(えん)でもありました。弘氏とは縁もゆかりもない私ですが、彼が生まれ育った旧大祝邸や歴代の御廟を訪れただけのわずかな接点を思い起こすことで、遅まきながら見送りの最後尾につくことができたような気がしました。

諏方家大祝の御廟

 10月10日、半年ぶりに諏方家の御廟に行ってみました。まだ新しい白木に「故諏方弘大人命之奥津城」と書かれ、側面には「九月一日帰幽 享年五十五才」とありました。霊誌の歴代大祝の最後には、父である頼宣彦神霊が彫られています。十五代で(諏方家直系の)大祝の名が消滅したことになります。
 諏訪神社は、明治維新で国家管理となりました。大祝の世襲制が廃止されると、中央から任命された宮司が“社長”となり、大祝は神事に関わることができなくなりました。そのため、かつては「生き神」とも称された最高神職は名のみとなりました。しかし、私にとっては、大祝は、今でも諏訪大社の奥深くに息づいている大いなる存在です。

大祝邸の大銀杏

大祝邸の銀杏 11月10日、再び旧大祝邸を訪れてみました。一週間前は、イチョウの色付きが今一つということですぐ引き返しましたが、今日はその葉が全て落ちていました。裸木となったイチョウを撮ってから、完全に主を失って寒々する邸内に入ってみました。

 ネコの鳴き声がします。その方向をたどると、玄関脇にある檻(おり)の隅から顔を見せていました。キャットフードの空缶があるので、近くの人が世話をしているのでしょう。まるで「屋敷付きのネコとして囚(とら)われている」ようにしか思えない飼われ方です。もしかしたら、弘氏が可愛がっていたネコだったのかも知れません。
 長期療養で家を空けたまま戻ることがなかった当主を知るか知らずか、大イチョウは、荒れた庭を覆い隠すかのように小さな扇を降り積もらせていました。ギンナンの異臭がそれに取って代わると、その強烈さに、沈み込んでいた気持ちが何ともチグハグなものとなりました。

大祝邸の大銀杏再び 21.11.7

諏方家霊誌 やはり、現在の大祝邸を象徴するのは「大銀杏」でしょう。この日は、すでに三分の一を残して厚いカーペットを敷いていました。
 写真では、蔵の右に空いた小さな“明るさ”が、大祝が諏訪神社へ通った「大祝道」です。日陰となった蔵ですが、秋の日に輝く黄金の落ち葉より“この一枚”を選びました。


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