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本宮の注連掛鳥居 22.8.3

 写真の石門から境内に入ると左に土俵を見ますが、本題はこの門です。また、玉垣に「奉納小林莞侍・小林平三」の名が彫られていますが、東京新宿「三平グループ」の社長・会長であっても、やはりこの本題には関係ありません。

注連掛鳥居 長い間、「田邊郷・安政三年(1856)」とあるこの門を変わった形として眺めてきました。
 ある日の朝、境内で清掃帰りの神職に会いました。躊躇(ちゅうちょ)した分だけタイミングが遅れ、すれ違いざまの「お早うございます」となってしまいましたが、これはチャンスと訊いてみました。
 淀みなく「注連掛(しめかけ)鳥居」と返ってきました。さらに、私が「田邊(田辺)」を「たなべ」と発音したので、旧村の「たんべ」で神田の耕作をする「田(の)部」からきている、と補足まで付きました。

注連掛鳥居

 中世の頃は、6年毎の式年造営で、社殿を始め鳥居から玉垣までの全てを更新しました。その後、時代が下がるに連れて式年造営は退転し、玉垣・鳥居などは徐々に耐久性のある石造りに替わってきました。それを踏まえた上で調べると、「田部(田辺)村」がこの鳥居の式年造営担当と知り、単なる寄進でないことがわかりました。

御射山社「注連掛鳥居」
御射山社の注連掛鳥居

 「冠木門(かぶきもん)」に注連縄を掛けた形状の注連掛鳥居は富士見町の御射山社などで見られ、「一般には、境内のさらに奥まった聖域に建てられる」とあります。
 ところが、本宮の注連掛鳥居は、境内の外郭に当たる玉垣の間に建っています。“一般とか常識が当てはまらないのが諏訪大社”ですから驚くほどのことではありませんが、特別な鳥居であることは考えられます。古絵図では鳥居の正面に「勅使殿」が描かれているので「勅使門」だった可能性もあります。