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大祝も見た「キルヒ彗星」 25.1.19

「西に星出、其の形虹の如し」

 御神渡りの記録『当社神幸記』の詳細については最下段の「サイト内リンク」で御覧いただくとして、以下の中段からゴシック体に替えて転載したのが諏訪神社上社の大祝(おおほうり)頼隆の“追記”です。

当大明神御渡事(とうだいみょうじんおわたりのこと)
十一月廿六日の夜、湖水凝結せしむ、

(中略)

 延宝七年巳未十二月(ママ)  諏訪大祝頼隆
 御奉行所

 翌年庚申三月六日、申日、御柱本社一二・前宮一山出しの節、三本共折れ、高遠城主鳥居左京亮(さきょうのすけ)大阪御加番に依り、騎馬難渋これあり、騎馬出之、其の理叶わず、
 同年五月八日、大樹源家綱公薨御(こうぎょ)、八月二十二日、三弟源館林宰相(徳川綱吉)征夷将軍任ず、
 仙洞崩御、八月中旬より九月下旬に至り驟雨、諸作熟らず、閏八月六日大風雨満水、十一月一日より西に星出、其の形虹の如し

信濃史料刊行会『新編信濃史料叢書』

 延宝8年(1680)は、「御柱祭では、山出しで三本が折れ高遠城主奉納の騎馬行列もなかった。将軍や上皇が亡くなった。長雨で作物が実らず、台風で諏訪湖の洪水があった」という大変な年であったことがわかります。
 それはそうとして、その後に続くのが本題の「虹のような星」です。これは、NHKの「低緯度でも見られたオーロラ」を視聴して、諏訪でも見られたオーロラと解釈しました。ところが、(ネットの情報では)諏訪以外の古文献には、似たような現象ですら見られません。

キルヒ彗星

 年が改まると「今年の天文情報」が特集されます。私は、その中に繰り返し現れる「彗星」から、大祝が見たものは彗星ではないかと閃きました。さっそく「彗星 延宝8年」で検索すると、日本の各地に記録が残っているらしく幾つかのサイトが表示しました。これで「虹の星は彗星」と確定したのですが、「低緯度のオーロラ」にこだわる私は“星空のロマン”が壊れたような思いをしました。

 大祝が眺めたのは現在の諏訪大社上社の周辺からだと思われるので、守屋山から続く山並みの上に彗星が現れたのでしょう。もちろん、諏訪の人々も西山の上に尾を引く星をそれぞれの思いで見上げたのは間違いありません。

 ところが、ネットで表示した「キリッチ彗星」で検索しても、なぜ「キリッチ」なのかの情報は得られません。あるサイトにあった「Kirch彗星」で再検索をすると、『DBpedia』に「ゴットフリート・キルヒ(KirchまたはKirche,Kirkius)は、ドイツの天文学者である。組織的な天文観測を行った先駆者であり、彗星や星団の発見者である」とありました。
 次は「キルヒ彗星」で検索すると、『Wikipedia』では「1680年11月14日にゴットフリート・キルヒが発見した大彗星」とありました。どうも、キリッチより「キルヒ」が一般的のようです。それはともかく、この彗星が出現したのが江戸時代の「延宝8年」であっても、天文学的にはキルヒ彗星と呼ぶことがわかりました。

 大祝は「虹」と表現した星ですが、330年前に世界中の人々が見上げた彗星が未だに宇宙のどこかで周回していると思うと、…“ため息”が出ます。


‖サイト内リンク‖ 御神渡の記録『当社神幸記』