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諏訪七石「小玉石・児玉石」 ver23.5.21

 宮地直一著『諏訪史 第二巻 前編』から、「七石に就いては古人の説が一様でなく何れが正しいとも遽(にわ)かに決定し難いので、その大体を次に表記し、之が現在の擬当地を記入して行く」とある「諏訪七石の一覧表」を転載しました。昭和6年の発刊ですが、これが基本資料となります。

諸説→
名称↓
諏訪上社物忌
令(神長本)
信濃奇勝録 画入七石の事 信濃国一宮諏
訪大明神御由
来記
現在ノ擬当地
御座石 正面の内 ヤガサキ 矢ヶ崎村内 神 前 上社境内ノモノ今見エズ、矢ヶ崎村トスルハ御座石社ノ御座石ヲ指ス
沓 石 社 内 社 中 社 内 護摩堂ノ下 上社布橋ヲ渡詰メ突当リテ更ニ曲ル所右側下ノ大石
硯 石 ── 守ヤ山道 社 内 神前上 上社両宝殿ノ間、四足門ヲ通シテ向フニ見ユル石垣上ノ大石
蛙 石 社内(但シ甲
石トアリ)
社 中 社 内 鉄塔ノ下 上社境内蓮池中
小袋石 磯 並 杖突峠下 磯並内 高遠道磯並 宮川村高部ノ内、杖突峠ニ登ル途中右方、道ヨリ少シ山ニ入リタル所
兒玉石 海 端 ユノ脇
又磯並
── 湯ノ脇 上諏訪町湯ノ脇兒玉石神社境内
亀 石 千野川 宮川内 茅野村内 チ ノ 宮川ガ西茅野ヲ流通リ、安国寺ト中河原トノ境ニ来ル辺ニアリシトイウ

諏訪七石

  文献によって「小玉・児玉」の違いがあります。総称として「児玉」を使っていますが、文献を引用する場合はそのままを表記しています。

 嘉禎4年(1238年)の奥書がある『上社本 諏訪上社物忌令』には、〔七石之事〕として「御座石・御沓石・硯石・蛙石・小袋石・小玉石・亀石」を挙げています。
 文明年間(1469-1486)に書かれた『神長本 諏訪上社物忌令之事』では、「蛙石を甲石」とする以外は同じですが、こちらには所在地を並記しています。硯石だけは書いてありませんが、「言わずもがな」ということでしょう。この所在地を検討すると、「小玉石」を除いては、諏訪神社(現諏訪大社)上社の周辺にあることがわかります。その小玉石も「海端にあり」ですから、「上社に近い諏訪湖沿い」と読めば、七石の全てが上社周辺にあることになります。

諏訪七石は諏訪上社限定か

 小玉石は、江戸時代の文献になると「児玉石」と変化し、所在地は「諏訪市湯の脇」と書かれることが多くなります。しかし、前記の「諏訪七石は上社周辺」に固執すると、湯の脇説は、児玉石神社の境内に大石がある→神社名が「児玉石」→だから「小玉石」という安易な流れにも見えてきます。
 その児玉石神社ですが、諏訪神社の「上・中・下三十九所」には含まれていません。しかも諏訪湖の対岸ですから、“古諏訪神社上社の信仰圏”からは外れることになります。

 ここまで書くと、世の中の事物に悉(ことごと)く「本当かー」と突っ込みを入れてきた「私の天の邪鬼(あまのじゃく)」がムクムクと頭をもたげてきました。実は「諏訪七石を系統立ててまとめる」ことで書き始めたのですが、すでに、この文の本流は「小玉石」になっています。そこで、「児玉石神社の児玉石=諏訪七石」に待ったを掛け、「諏訪七石は諏訪上社限定」で進めることにしました。

児玉石神社・先宮神社
児玉石神社から先宮神社にかけての地形

『諏訪の七石七木』から児玉石

 田中積治編著『諏訪の七石七木』とある小冊子があります。この中に宮坂清通さんが寄稿した『諏訪の七石について』が収録してあり、〔諏訪七石に関する文献をあげてみると〕として各種の史料・文献を紹介しています。その中から「小玉(児玉)石」だけを抜き書きし、昭和以前・以降と分けて表にまとめてみました。

諏訪上社物忌令之事(上社本 嘉禎年間)小玉石───
諏訪上社物忌令之事(神長本 文明年間)小玉石海端
諏方かのこ(小巌在豪 宝暦6年)小玉石 下新井
信濃国昔姿(乾水坊素雪 文政2年)小玉石湯の脇(諏訪市)
信濃奇勝録小玉石ユノ脇又磯並
画入七石之事小玉石───
信濃国一宮諏訪大明神由来記児玉石湯の脇
諏訪史蹟踏査要項(茅野玉川編)児玉石湯の脇
諏訪史第二巻前編(宮地直一 昭和6年)児玉石湯の脇

 江戸時代でも「(茅野市)下新井・磯並」を挙げている人がいて心強くなりました。しかし、昭和では、全てと言っても二例だけですが、湯の脇「児玉石神社」境内の大石を「児玉石」に当てています。

『諏方かのこ』は、諏訪市の「新井」に比定した可能性が高い。

 次は、「その概要を述べると次の通りである」で始まる〔諏訪七石〕から、児玉石だけを転載しました。

児玉石
 諏訪市湯の脇の児玉石神社の境内にある巨石群である。諏訪旧跡志に

 児玉彦神(諏訪明神の神孫)諏訪郡湯の脇村児玉石大明神はこの神の霊代なるべし、大石に凹あり、常に水をたたえて晴雨に干溢なし、いぼを洗えば必ずなおるを神変とす。

とあり、又、修補諏訪史系図の補記児玉彦神の条に

 神体を児玉石という。周囲参拾間高さ壱丈四五尺許(ばかり)、郡中希に見る霊石なり、巨岩の北側に孔あり麗水を湧出す、大旱涸れず流末終に諏訪湖に入る。

と記され、この巨石群に神霊の宿り給うことを明記している。更に又古歌にも

 須波の海 水底てらす 児玉石
 手にはとるとも 袖はぬらさじ

と詠まれている。この神社も諏訪上社の末社として現在も十月の例祭には本社から神職が参向して祭儀に奉仕している。
 この児玉石は、前記の小袋石と共に郡内屈指の大岩石群で、その底部から清水が湧出している関係から往古より居住民の生活に深い関係をもって信仰の対象となったものである。

 宮坂さんも、通説としての「神社名と祭神や神体が児玉石だから、諏訪七石の小玉石は児玉石神社にある児玉石」としていますから、私の「児玉石は上社周辺にある」に繋がるものはありません。

神長本 諏訪上社物忌令之事』から「小袋石と児玉石」

 私は研究者ではないので、「反対と突っ込みとヤジ」ばかりという気楽な立場を利用して、さらに続けることにしました。
 前出の「海端にあり」の詳細です。

「小玉石」海端に在り、満珠是なり
「小袋石」磯並に在り、乾珠是なり
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

 「満珠(まんじゅ)・乾珠(かんじゅ)」を、神話「山幸彦と海幸彦」に出てくる「塩満珠(しおみつたま)・塩干珠(しおひるたま)」と同じ効果がある石とすれば、多雨・干ばつで著しく変化する諏訪湖の水位を、小玉石と小袋石で調整(祈願)したことになります。
 ここで、孤高を貫く諏訪神社に中央の神話を当てはめるのもどうかということになりますが、単に、珠の効能だけを導入ということでしょう。ただし、両珠の名称はこの文献にしか見えません。

果たして、児玉石は上社周辺にあるのか

 これまでに児玉石に関係する資料を幾つか挙げてきましたが、自説に結びつくような記述はありません。『信濃奇勝録』だけが「湯の脇・磯並」と並記しているだけです。後は、“私の考えに沿う”ように推理するしかありません。

 現在は、上社周辺には「児玉石の伝承」はありません。一方で、大祝即位式場であった「鶏冠社(かえでしゃ)の要石(かなめいし)」や「本宮の御座石・蛙石」、また「千野川社の亀石」ですら行方不明となっている現状があります。また、現存する他の諏訪七石が必ずしも巨石でないことから、見かけは「どこにでもある石」という可能性もあります。
 また、小袋石がある「磯並」は去年その上にある斎場が土砂災害で埋もれ、「下新井」を茅野市の「新井」に求めれば、上川と宮川に挟まれたかつての諏訪湖の満水と氾濫の常習地です。亀石が洪水で流されたように、川底に埋まった可能性があります。目に見えなくなったことで、人々の記憶に残ることがなかったと考えることができます。

小玉姫命 28.9.15

 『諏訪郡諸村並旧蹟年代記』の〔中河原村〕から、その一部を転載しました。

鎮守は五龍大権現命號不知、又姫宮大明神小玉姫命、氏神祠無之 (後略)
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第三巻』

 ここに、「小玉姫命」が見えます。新井村は中河原村の隣ですが、これに“石”を結びつけるのは、…やはり無理でしょう。

 「これは行ける」でしたが、ネタ切れと共に推測の域を出なくなりました。そのため、今回は都合のよい「消息不明」とすることで“幕を引く”に代えさせてもらいました。「諏訪七石上社周辺説」に「おー」と引き込まれた方には、「足をすくわれた」形になってしまったことをお詫びします。