諏訪大社と諏訪神社トップ / 上社散歩道メニュー /

「長沢口の道標」御堂垣外宿と杖突峠 諏訪市神宮寺 19.4.14

 4月14日は御頭祭の前日です。諏訪大社本宮では、その前夜祭とでも言うべき「夕祭」が4時から行われました。今日は前宮に車を置いてきたので、神事参観の帰りは徒歩です。のんびりと歩きたいのですが、この県道は狭い上に交通量が多いのでかなり気を遣います。よく言う「小さくなって」という歩き方で、時には立ち止まって後方からの車をやり過ごすこともあります。

道標 いつもの見慣れた道標ですが、今日は夕日の斜光で文字がくっきりと見えます。時計を見ると4時半でした。これは「早く紹介しろ」という催促なのでしょうか。この道標の写真はすでに何枚かストックしてありますが、今の一瞬を、似たような構図になるのを覚悟で撮ってみました。
 傾いて一部埋没した道標正面は「従是(これより)北 高島 一里二十」とあります。「高島」は、高島城や現在では諏訪市役所がある諏訪市高島です。右側は「西 神宮寺」で、左側は、茅野市金沢の「東 金澤宿」です。背後には「南 御堂垣外(みどがいと)宿」と、それぞれに距離が記されてあります。手持ちの資料に「20×21.5cm角・高さ72cm」とあったので実測せずに済みました。

「南 御堂垣外宿」

御堂垣外
左側面が「御堂垣外宿」

 道標に刻まれた御堂垣外宿ですが、その宿場名にはまったく馴染みがありません。最近になって伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」を閲覧する機会があり、茅野市「金沢宿」から伊那側に抜ける道の先に「松倉・御堂垣外村」と併記してあるのを見つけました。
 「伊能忠敬さんはこの道を測量したんだ」との感慨にふけるのは後にして、現代の地図である国土地理院「辰野」を参照してみました。すると、杖突峠からの藤沢川と「松倉」川が合流する地に“今も”「御堂垣外」がありました。
 御堂垣外は高遠町(現伊那市高遠町)になるので、「峠の向こう」として全く知識がありませんでした。高遠へ行くには杖突峠越えの道を使うので、いつも知らずに通過していたことがわかりました。

鹿音茶屋とレストラン三ツ石

 中洲公民館刊『中洲村史』には、「辻の西側に鹿音(しかおと)という茶屋があった。鹿肉料理専門で知られていた。その家の角には“是ヨリ北高島へ一里廿町、東金澤宿へ二里二町”と記した石標がある。道の東側には三平茶屋(岩波氏)があって、峠を越える馬方衆で賑わっていた」「付近には酒・醤油・荒物・雑貨・呉服大物屋・穀屋・金物屋・焼酎屋・菓子屋・豆腐屋等があって賑やかであった」とあります。

御堂垣外宿
手前のブロック塀が「鹿音」跡 [14.4.12]

 写真の左隅にあるバス停が「峠入口」です。中央下の道標を右に見て、電柱と松の間を入る小路の先を登り詰めると杖突峠に出ます。現在は旧道になるわけですが、人馬用なので車は(多分)途中までしか入れません。


三ツ石酒店 上写真の左続きになりますが、バス停の先にあるのが「三ツ石酒店」です。商家としては唯一残っている家屋でしょう。
 しかし、この古き良き建物も、平成22年6月には県道拡幅のために取り壊されてしまいました。

三ツ石酒店がレストラン三ツ石か それに代わったということではありませんが、「レストラン三ツ石」が出現しました。酒屋の屋号と同じなので、オーナーは「三ツ石酒店」の当主と推定してみました。かつて存在した酒屋を偲んで、平成14年の4月に撮っておいた写真を載せてみました。

「旧杖突峠入口道標」 24.6.3

道標 県道拡幅工事が終了すると周囲も整備され、景観も大きく変わりました。
 現在は、埋もれていた道標の基部も日の目を見、台石と共に本来の姿に戻りました。