諏訪大社と諏訪神社トップ / 上社散歩道メニュー /

田辺御頭御社宮司社 諏訪市田辺 21.5.23

 御頭御社宮司社の左が公民館、右が永久寺の参道、そして背後がその寺地です。そのため、現在でもこの御社宮司社が、田辺(たんべ)の中心地であることは間違いありません。ただ、御頭郷の御社宮司社が、お寺の境内地に鎮座しているような印象を受けるので奇異に映ります。
 諏訪市史編纂委員会『諏訪市史』で調べると、永久寺は「江戸時代の初め、承応元年(1652)昭峰臨渓の開山によるといわれている」とあります。「御頭郷」の制度ができたのが慶長十九年(1614)だそうですから、御社宮司社の歴史よりやや新しいことになります。

田辺御頭御社宮司社拝殿

 幣拝殿と片拝殿が合体したような横長の社殿は、諏訪では大変珍しい部類に入ります。あえて、左右対称で撮ってみました。

田辺御頭御社宮司社 拝殿の背後にある本殿を囲んでいるのは板塀ではなく、これも諏訪の神社では珍しい(調べてわかった)「源氏塀」でした。ところが、ケヤキの巨木を始め種々の木に覆われているので、透かしても本殿正面がよく見えません。「神明造」とわかりましたが、これも珍しいでしょうか。いつ頃建て替えたのかは不明ですが、すべての社殿が新しいもののように見えます。

田辺御頭御社宮司社 「兎の毛通し」は、最近の学習効果で「唐破風に付いている懸魚」とすぐに出てきます。その「兎の毛通し」は「鷹に松」でしょうか。色が、下の竜の彫刻と同じ古色を帯びていますから、旧社殿の彫刻類をそのまま“流用”した可能性があります。

田辺御頭御社宮司社「神紋」 鷹の上に緑青(ろくしょう)色の円盤が見えます。「これは…」と閃いたので望遠鏡代わりのカメラを向けると、梶の一枚葉「立穀」でした。社殿関係の「物」では一番古いのかもしれません。「古いから尊い」とは言えませんが、すべてが新しそうな社殿にやや評価が下がっていましたから、この発見には胸が躍りました。諏訪大社の摂社末社は、親社と同じ「諏訪梶」を神紋としているのが圧倒的に多いので、この「立穀」も珍しい例と言えそうです。

 拝殿前の御神燈(灯籠)の願主が、「村中」ではなく「郷中」になっています。話は少し外れますが、これを説明しないと通じないので…。江戸初期に定められた御頭郷は15あります。田辺村は親郷で、御頭の年は枝郷を含めたすべての村を仕切ります。その親郷一覧を書いた資料には「村」と「郷」の二つが見られます。田辺は「田辺郷」です。勉強不足でこの違いが何たるかを知りませんが、(とりあえず)「新田村を出した親村を○○郷と呼ぶ」としました。

 「郷中」に戻ります。諏訪大社上社本宮の大きな注連掛鳥居にも「田邊郷」と彫られています。文献だけでなく石造物にも「郷」とありますから、「田辺郷」として広く用いられているのがわかりました。
 諏訪神社上社の「田の部」という古い歴史を持つ村なのか、永久寺の存在が大きいのか、または双方が影響し合っているのか、社殿などの見た目から受ける御頭御社宮司社の印象は一風変わっていました。