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峯湛(諏訪七木) 14.9.23

三道巡礼共に山路をへて往行三日五日を送る、廻神と稱(称)して村民是を拝す、戌亥子(いぬ・い・ね)三ヶ日の神原(ごうばら)(なら)びに人屋の神事又是を略す、丑日、先ず峯多々江(みねたたえ)、其の後前宮の神事、神使二手外縣・内縣御しずまり、落花風にひるがえり山路雪をふむ、職掌(しきしょう※神楽男)鞍馬金銀の荘厳無雙(双)の見物也、
『諏方大明神画詞』「49」

峯の湛へ

 前宮本殿横の小町屋墓地最上最終部から、山中に向かってかすかな段が斜面に刻まれています。「鎌倉道(街道)を通って峯湛(峯の湛)へ」という目的がないと絶対に分からない踏み跡です。

峯の湛(諏訪七木) 鎌倉道と聞けば登らずにはいられません。けっこう危うい道をたどると、下草がないために枯葉色が気分を暗くする杉の植林地に変わりました。息切れに後悔が加わる間もなく藪道になり、それがなだらかになると何か曰(いわ)くのありそうな巨木が現れました。
 「昭和63年4月の雪で折れた」とある古木は推定樹齢200年というイヌザクラです。樹下に石祠が二つあり、「安国寺史友会」が設置した説明板もあることから、ここが「湛」神事が行われた「峯湛」と分かりました。

峯の湛 前宮と関連を持つ重要な遺跡地で、古来より諏訪七木(ひちぼく)の一つで湛の神事をしたところである。春の農耕神事に領地内(県)を巡って帰る神使(おこう)の通る道筋であり、ここを「大祝道」「鎌倉街道」なども通っていた。またこの山を「火とぼしやま」と呼び、古代の砦の遺構を思わせる形跡が各所に見られ、記録によれば中世の狩猟神事「矢ヶ崎まつり」ノロシ台にも使われている。

 目的を達したので前宮へ戻ろうかと思いましたが、明るさに惹かれてその先を下り始めると、地図で知っていた前宮公園の最上部(展望台)に飛び出しました。
 諏訪湖も見える岡谷市側まで遠望できます。夕日に赤く染まる町屋の甍と山筋に漂う煙が「国見」のようで感動しました。本宮は杜の中にあるのでこの位置からは分かりません。博物館の特徴のある屋根から追うと山際から一つ飛び出た濃い緑塊が本宮の杜と思われました。

「湛」とは

 本では、「湛の場所にある木や石に神を降ろし、鉾(ほこ)に鉄鐸(てったく)をつけてふり鳴らし神に豊作を祈願する」と具体的に説明しています。ところが、「湛」そのものの解釈は研究者によってまちまちで定説がありません。私も「湛える」を辞書で引いてみましたが、一般的な「水を湛える・笑みを湛える」などの用例しかありません。当て字かも知れない字を、さらに現代の辞書で追っても意味がありませんが…。
 今では「跡」と名前が変わった「峯の湛」には、イヌザクラと祠があるだけです。『諏訪七木』には「峯湛」とあるだけで木種が書かれていません。そのため、湛えの対象には相応しい大木ですが、「湛木であるかは断定できない」そうです。

峯湛はイヌザクラ 15.5.11

イヌザクラ やはり、イヌザクラの花を見たいものです。通常、イヌ○○とあれば期待してはいけないのですが…。
 同じ桜なら5月上旬、と峯湛えに登りました。ところが、白く小さいことは分かるのですが、はるか上の梢では具体的な形が見えません。ズーム最大で撮り、自宅で検証することにしました。
 愛犬家にはお叱りを受けそうですが、やはり「イヌ」で、「これがサクラか」という結果でした。総状花序という花の付き方ともども、“百読は一見にしかず”ということで、写真をご覧下ください。この木は諏訪大社前宮周辺では普通に見られます。ただし、「花期に限る」という条件付きです。

峯湛とイヌザクラ 16.9.18

 久しぶりに前宮から鎌倉(廃)道を歩きました、といっても、峯の湛までですから300メートルはないでしょう。しかし、墓地上にある山の斜面に刻まれた道は草で覆われ、一部が崩れています。滑り落ちると、眼下に見える横一列に並んだ石塔のいずれかに馬乗りになるおそれが大きい、と足を踏ん張ったので汗をかきました。

折れた峯湛(諏訪七木)のイヌザクラ 「台風の爪痕」とはよく言ったものです。まさにそれに相応しい光景が現れました。何と茅野市天然記念物のイヌザクラが折れています。梢の葉がまだ青いので、この前の台風で倒壊したようです。苔が幹を覆っていますから、元々弱っていたのかも知れません。
 下の祠に注目してください。前もって調査というか現状を見に来たのでしょうか、御柱が脇にまとめて置かれています。遅くても来月中には新しい御柱が建てられるでしょう。今のところ、祠二棟が“神通力”で支えているようですが、神様はいつまで持ちこたえられるのでしょうか。

古文献に見る「峯湛」

 諏訪史談会『諏訪史蹟要項』の〔峯湛〕の項には、「金子岩右衛門筆録」として以下の文が載っています。

高部村火打山南之方郷林之上小町屋村境尾根上(中略)、実ハ松之木而(にして)有之候得共(これありそうらえども)二代目之木ニテ候哉(そうろうや)分カラズ、ミネタタエ大明神云、

 また、『諏訪郡諸村並旧蹟年代記』では

子安宮(※子安社)之上尾根峯湛大明神火焼山と云、實正(※実者・じつは)松木ニて二代目ニ候哉(や)、嘉永之頃是ヲ見ル、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

とあり、この時代の峯湛は「二代目の松」であることがわかります

諏訪七木の峯湛 21.9.21 平成21年9月久しぶりに峯湛に寄ってみました。前宮から「高道」を通って本宮。帰りは「大祝廟」から「鎌倉道」を選びました。「権祝祠」を右に見て、「前宮スポーツ公園」から前宮本殿に下りました。急坂は相変わらずでしたが、整備してありました。