前宮本殿横の小町屋墓地最上部から、山中に向かってかすかな段が斜面に刻まれています。「鎌倉道(街道)を通って峯湛(峯の湛)へ」という目的がないと絶対にわからない、踏み跡同様の道です。
「これが鎌倉道?」という、けっこう危うい道をたどると、下草がないために枯葉色が気分を暗くする杉の植林地に変わります。
息切れに後悔が加わる間もなく藪道になり、それがなだらかになると何か曰(いわ)くのありそうな巨木が現れました。
「昭和63年4月の雪で折れた」とある古木は推定樹齢200年というイヌザクラです。樹下に石祠が二つあり、「安国寺史友会」が設置した説明板もあることから、ここが湛神事が行われた「峯湛」と分かりました。
目的を達したので前宮へ戻ろうとしました。ところが、明るさに引かれてその先を下り始めると、地図で知っていた前宮公園の最上部(展望台)に飛び出しました。
諏訪湖が遠望でき、夕日に赤く染まる町屋の甍と山筋に漂う煙を見れば、まるで「国見」の気分です。今は史跡となった湛の地を見た後でしたから、ちょっとした感動がありました。上社本宮は、この位置からは分かりません。特徴のある博物館の屋根から追うと、山際から一つ飛び出た濃い緑塊が本宮の杜と思われました。
今では「跡」と名前が変わった峯の湛には、イヌザクラと祠があるだけです。「諏訪七木」には「峯湛」とあるだけで木種が書かれていませんから、湛えの対象には相応しい大木ですが、湛木であるかは断定できません。
それでも、イヌザクラの花を見たいものです。通常、イヌ○○とあれば期待してはいけないのですが…。
同じ桜なら5月上旬、と峯湛に登りました。ところが、白く小さいことは分かるのですが、はるか上の梢では具体的な形が見えません。ズーム最大で撮り、自宅で検証することにしました。
愛犬家にはお叱りを受けそうですが、やはり「イヌ」で、「これがサクラか」という結果でした。総状花序という花の付き方ともども、“百読は一見にしかず”ということで、写真をご覧下ください。この木は諏訪大社前宮周辺では普通に見られます。ただし、「花期に限る」という条件付きです。
久しぶりに前宮から鎌倉(廃)道を歩きました、といっても、峯の湛までですから300メートルもないでしょう。しかし、墓地上にある山の斜面に刻まれた道は草で覆われ、一部が崩れています。滑り落ちると、眼下に見える横一列に並んだ石塔のいずれかに馬乗りになる恐れが大きいと足を踏ん張ったので汗をかきました。
「台風の爪痕」とはよく言ったものです。まさにそれに相応しい光景が現れました。何と茅野市天然記念物のイヌザクラが折れています。梢の葉がまだ青いので、この前の台風で倒壊したようです。苔が幹を覆っていますから、元々弱っていたのかもしれません。
下の祠に注目してください。前もって調査というか現状を見に来たのでしょうか、御柱が脇にまとめて置かれています。遅くても来月中には新しい御柱が建てられるでしょう。今のところは祠二棟が“神通力”で支えているようですが、いつまで持ちこたえられるでしょうか。
諏訪史談会『諏訪史蹟要項』の〔峯湛〕の項には、「金子岩右衛門筆録」として以下の文が載っています。
また、『諏訪郡諸村並旧蹟年代記』では
とあり、この時代の峯湛は「二代目の松」であることがわかります。
久しぶりに峯湛に寄ってみました。本宮から大祝廟へ向かい、未整備の鎌倉道を歩いて「前宮スポーツ公園」の横を通ると峯湛です。
前宮のイヌザクラは完全に散っていましたが、ここでは穂の先に蕾が見られました。
脇を通る鎌倉道は、御柱祭に合わせて木材チップを敷き詰めるなど整備されていました。