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蓼宮神社 諏訪市湖南

 境内にある「蓼宮神社由緒」には、「祭神は草奈井比賣命(くさないひめのみこと)で、諏訪大神の御子・出早雄命の御子神で安産守護・延命長寿・家内安全・産業開発の神である。創立沿革は、神代で不詳であるが祭神は貞観八年従四位下に叙せられた」とあります。

 「まだ独身の頃」としか記憶のない昔のことですが、由緒の続きに「神楽殿は、現在市の考古館に使用(現在閉鎖)」とあるように、西山考古資料館としてこの境内に初めて足を踏み入れました。しかし、当時の私には神社には興味がなく、復元された縄文土器を見学しただけで帰りました。
 二度目は、その自分史に比べれば「つい最近」と言えそうな平成17年の4月です。その時は、『祝詞段』にある「野明立ノ権現クルミ沢御社宮神(習焼神社・蓼宮神社・胡桃沢神社)」の記述を知らないままの「胡桃沢神社」が目的でした。

蓼宮神社

 今日は、「蓼宮神社はミツバツツジがよく似合う」と決めつけて、その開花時期を狙った蓼宮神社の参拝です。

蓼宮神社

 実は、満開を狙ったので、先週に引き続き三度目となってしまいましたが、その執念が上の写真に出ました。

蓼宮「社殿額」 拝殿の社殿額「蓼宮」を仰ぐと、諏訪大社を含めた諏訪の神社でよく見られる(バルチック艦隊を破った)東郷平八郎元帥の謹書であることに気が付きました。私が小市民であることを書くことになりますが、彼が日本全国でどれほどの謝礼を貰ったのかが気になります。

蓼宮神社本殿 拝殿脇にある踏み跡をよじ登ると、瑞垣の中に本殿の屋根が見えました。覗き込むと、諏訪湖周の山(斜面)を背後にした神社では“必須”という例に漏れず、拝殿裏の狭い社地に押し込まれています。それは、土砂崩落を防ぐ石垣を築いて空いたスペースに、何か活用をと新たに本殿を造営したようにも見えてしまいます。上を仰ぐと、かつての神木でしょうか、石垣上の斜面に立つ大木には、切断面からの腐れを防ぐための屋根が葺かれていました。
 いつものコースである本殿を確認しましたが、このまま戻らずに瑞垣に沿って一周することにしました。

蓼宮神社拝殿

 反対側から見下ろすと、距離を置いた分だけ拝殿の側面がよく見えます。足元が安定する場所に立ち「写真を一枚」と注視すると、かなり変わった造りであるのに気が付きました。その複雑な構成は私には説明できるものではありませんので、写真をご覧ください。因みに、左下に見える赤屋根は廻廊です。

蓼科山 帰り際に、拝殿の延長線上にある石段の最下段中央に立ちました。予想通り、正面に「蓼科山」がチョコンと頭を出しています。しかし、同じ「蓼」が神社名と関連があるのかはわかりません。

立テ権現

 蓼宮神社関連の資料を調べてみましたが、その記述は意外に少なく詳しく紹介することができません。その中でよく引用されるのが、神楽役筆頭外記太夫・茅野氏の『祝詞段』と『根元記(下)』です。以下の文は両書にありますが、「祝詞段」から抜き書きして紹介します。

武居ノ鎮守・藤島明神・若宮サンソン(三尊)・武居蛭子(恵比須)・守矢之大神・戸澤トノ、大熊ニ七御社宮神・大天白・十二所権現、マジノ(真志野)ニ野明(習焼神社)立テ権現(蓼宮)・クルミ澤ノ御社宮神、有賀之郷ニニウリニウタイ(女躰)・チカト(千鹿頭)・若宮・小式原渡リ御社宮神、小坂鎮守ヲタイ(小田井)ニ鎮守、花岡(ニ)三ノウ(山王)駒澤鎮守、白波ノ大明神ニチヨノ御神楽マイラスル
  マイラスルホメテコシミセシャウノミトナレヨ
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

 解説には、「諏訪各郷村鎮座の神々より土俗の神に至るまで、すべての神々に御神楽をまいらする一連の祝詞を載せる…」とあります。勝手ながら、現在の神社や地名を( )内に加え、[・]で区切ってみました。
 諏訪史談会『諏訪史蹟要項』では、『三代実録』に「貞観八年六月甲戌朔授信濃国老位会津比売命并草奈井比賣命従四位」、神祇資料第十三巻に「会津比売命草奈井比売 諏訪郡北真志野の村にててみや(蓼宮)神社といふあり」と紹介しています。ここで「会津比売命」が初登場しました。福島県の会津と縁があるそうですが、それ以上のことはわかりません。

蓼宮神社の本殿

蓼宮神社本殿 平成20年4月6日。たまたま通りかかると境内の様子が尋常ではありません。車が何台も駐まり、年配の男性が数人あちこちで動き回っています。焚き火の煙も上がっています。今日は近くにある千鹿頭神社のお祭りがあると知っていましたから、蓼宮でも例祭日であることが想像できました。
 これはチャンスと拝殿前に立つと、予想通り扉が開放されています。残念ながら御簾が下がり(過ぎ)、本殿の木組みや彫刻は見えませんでした。今の時間で掃除中ですから、神事は午後から始まるのでしょう。残念ながら、所用中の身とあって先を急ぎました。