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千野川社跡 茅野市茅野 17.9.10

千野川明神 千野廣著『千野(茅野)氏概説』の〔中村屋敷(第二居館)〕を読み進めると、「千野川明神の跡に建てられた記念小祠(昭和40年11月18日建立)」と説明がある写真がありました(左)。跡とは言え、その場所が大いに気になります。しかし、背景を拡大しても、その場所は特定できません。

 頼りとした諏訪史談会『諏訪史蹟要項 茅野市宮川篇』には、折り込みの〔史跡踏破図〕があります。その名を探すと、「三輪神社」の下(南)に「千野川社」がありました。「エッ、千野川社は宮川の左岸にあるのでは」と旧知の場所に目を移すと、「亀石大明神」の名があります。このサイトでは、千野川社=亀石明神と紹介していますから、全くの別神社として表記されていることに驚きました。

 その疑問はともかく、昭和33年当時の〔史跡踏破図〕を現在の地図に重ねると、昭和41年開通の国道バイパスと重なっています。さらに、現在は「中河原─坂室バイパス」の工事も始まり、その一帯は住宅や店舗が取り壊され更地化が進んでいます。果たして、現在もその場所にあるのでしょうか。

千野川明神跡へ 20.3.23

 茅野市文化センターに寄る用事があったので、近くにある(と思われる)記念小祠を探すことにしました。まず、基点となる三輪神社の参拝を済ませました。ここには、境内社の「おかめ神社」があります。現在は「産土社」より「おかめ」の方が知られていますが、商工会が勧請した新しい神社なので、のぞき込むだけにしました。
 踏査図から、三輪神社の南部を重点的に探索しました。この辺りを歩くのは初めてなので、小路から小路への何気ない風景も新鮮に映ります。しかし、大小の「祝神」祠はあるのですが「石碑」が見つかりません。あとは存在薄の国道(バイパス)周辺だけとなりました。

 道を挟んだ仮設のガードレールの向こうに、黒いブロック状の石が見えます。とっさに浮かんだ「墓石」も、考えてみればこんな所に墓地があるはずがありません。移動しながら注視すると写真の記念碑で、ダメ押しの記念小祠もあります。思わず、その祠の存在に気が付かなかった30余年間を振り返ってしまいました。

千野川明神
左がバイパス・右が西茅野への道

 暫定の「西茅野」分岐入口で、記念小祠と記念碑を目の前にしました。御柱の根元が朽ちかけていますから、少なくとも4年前の御柱祭と同じ位置と思われます。周囲は完全な更地ですが、この光景もすでに馴染んでいて、この辺りにどんな建物があったのかさえ思い出せません。
 感傷はともかく、まずは石碑です。

千野川明神
昭和四十年十一月十八日建立

齋神 智弩神 春祭三月二十六日・秋祭十月十五日
神系 建御名方命─御名方彦神別命─智弩神
茅野村ノ遠祖ニシテ茅(千)野氏ノ苗字懸明神ナリ、此地字ヲ苗字懸場ト謂フ、諏方大祝職位奉告御社参上十三所ノ一ナリ、古クハ社殿玉垣鳥居伊那郡焼山郷ノ役、明治六年社地百四十坪

寄進 茅野光英

 正面から右回りで紹介した碑文を調べると、寄進者・光英氏の茅野家は、諏訪神社の「小別当」職を継ぐ社人とありました。諏訪護国神社元宮司の茅野光英氏と同人物と思われますが、確認は取れていません。

茅野川明神について

 嘉禎4年の『祝詞段』に、関係する名前が見られます。

茅野川に亀石・坂森明神・茅野に鎮守・鎮守千ゴ宮氏神明神・小飼に七御社宮神・立矢にならえ五リョウサンソン…、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

 「千ゴ宮氏神明~」とあるのが「茅野川社(地護宮)」でした。因みに、順に千野川神社・酒室神社・三輪神社・茅野川明神・宮川御頭御社宮司社(七社の代表格)・立屋神社・酢蔵神社です。
 この辺りは上川・宮川の氾濫でその度(つど)川筋が大きく変わったそうです。原初に千野川社をここに定めて、最終的に「現千野川社」のある山際に移ったのでしょう。

安住の地が… 23.7.13

 碑と祠は、昭和40年の建立時は「これで永久に安泰」も、現バイパスの車の騒音と排気ガスの洪水に洗われ、再び平成22年度完成予定の坂室バイパス工事に呑み込まれようとしています。

千野川明神 長大な歩道橋が出現し、バイパスは完成しました。高規格道路とあって昔日の面影はまったく残っていません。
 しかし、千野川明神碑はそこだけ取り残されたままで、周辺は工事用の柵が置かれたままになっています。予算が付かないのか、または新たな再開発の計画に入っているのでしょうか。

移転した祠と記念碑 27.4.2

千野川明神 千野川明神の祠は、ホームセンター「D2」の駐車場と道路の間に移転し、ようやく安住の地を得たようです。
 実は、バイパスはとっくに完成し、この景観になってからかなりの月日が経っていました。それが、今日、ようやく写真に収め、「その後」をアップすることができました。左の碑は「道路改修」の記念碑です。千野川明神とは関係ありませんが、「移転記念」として共有できそうです。

現在の状況 28.11.1

手塚次郎社 「千野川明神」碑はなく、「手塚社」の案内板があります。事情があって、碑は撤去されたようです。その 経緯については、以下のリンクを御覧ください。



‖サイト内リンク‖ 「(エッ)手塚次郎社!?」