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中十三所「若宮社」(八幡神社) 諏訪市神宮寺 18.3.5

 長野県神社庁では「八幡神社」と表記しています。

 北斗神社から“下界”を見下ろすと、急な石段を横切るかすかな踏み跡が見えました。その先を目で追うと、…木立の中へ吸い込まれるように消えています。こうなると、林の向こうに何があるのか気になります。
 石段から分かれて木々の間を潜った先には、当然ながら桃源郷は現れず、どこにでもある3月の山畑が広がっていました。枯れきった畑を区切る道を伝うと、思いがけず若宮社の横に出ました。

若宮社 18.3.5 狭い境内を一巡りしてから県道側へ降りると、今日やるべきことは全て終了したかのようなおばあさんが、一番下の石段に座っています。
 その横に立ち、ある答えを期待して「これは何という神社ですか」と声を掛けてみました。呆れたような「諏訪大社(に決まっているではないか)」の声に、目と鼻の先に見える諏訪大社のことを聞かれたと勘違いしたようでした。改めて若宮社の社殿を指差して聞き直すと、「八幡様」と思いもよらない答が返ってきました。

 話は少しさかのぼりますが、茅野市の前宮方面から下馬沢橋を渡ると、市指定の文化財でない限り案内板が全く見られなくなります。諏訪市に入ったためで、茅野市前宮周辺で多くの案内板を設置した「安国寺史友会」の恩恵が全く受けられなくなります。

諏訪大社「若宮社」 「本宮三之鳥居」脇にあるこの神社も案内板の類が全くありませんが、以前より、鎮座地を神宮寺とする「若宮社」ではないかと睨んでいました。ある日、本殿の裏側に「若宮社改築費寄附人名」と、下部ほど薄くなる字が書かれた板を見つけて若宮社に間違いないと確信しました。
 そこで、念のために裏を取ろうと地元のおばあさんに聞いたわけですが…。多分子供(か嫁に来たとき)の頃から馴染んできた神社ですから、その自信を持った返答の「八幡様」に矛盾する「若宮社改築費」の存在に悩みました。

 中洲公民館『中洲村史』に「若宮」の項がありました。

 古くから八幡社といい、『大祝職位事書』には若御子社または谷みや(若宮)と見える。祭神は明神様のお子神であり今は無格社で諏訪神社の摂社であり(中略) 毎年初午の日に共同の甘酒祝いをした(昭和初年まで)。力石信仰があり、病気の人が全快を祈って社に置かれた4キロほどの石を持ち上げて軽く感じると早く治るが、重く感じると治りにくい。全快するとお礼参りをした。

 「谷みや」は、原典が毛筆の文献ですから「若」を“谷”と読んだのでしょう。「若宮」と補足してありますから、若宮=八幡神社となりました。
 ここには、境内入口にある「寛延二年(1749)」銘の常夜灯の詳細が載っていました。高さ3.1mで、「検地が済んだ記念に、長沢町と南町で奉納した。長沢町40軒南町23軒のうち、59人が68文ずつ出しあった」とあります。しかし、59×68文が、現在の貨幣価値でどのくらいなのかは見当も付きません。


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