諏訪大社と諏訪神社トップ / 上社散歩道メニュー /

権祝の境石「矢」 諏訪市神宮寺 19.9.9

 下諏訪町は諏訪大社下社のお膝元とあって、町立図書館は大社関連の蔵書が豊富です。3回目の入館ですから「いつも」とは言えませんが、そのいつもは目に入らない反対側の書架に目が留まりました。一段だけですが民俗関係の本があります。背表紙を追うと『語り継ぎ神宮寺』が見つかりました。以前より気になっている「北斗神社」があるのが神宮寺です。「何かあるかも」と広げると、…ありました。

(前略) 往年大祝の五官の権勢が盛んだった江戸時代には長沢の片山は、東半分を「矢島権祝」、西半分を「祢宜(ねぎ)太夫守屋」が宰領した。その境の地点に「矢」の字を刻した大石が苔むして現存している。(後略)

 さらに、別ページにある写真の石に目が釘付けになりました。「片山風穴の下方に現存する」との説明に、風穴小屋は知っていましたから、「あんな所」に「こんな石」がとビックリしました。正式(固有)名が載っていないので、自分で「権祝の矢印」と名付けました。

片山の風穴

風穴小屋
「風穴小屋」19.4.14 撮影

 県道から、風穴を利用する小屋の下を眺めますが、草が覆い繁って分かりません。藪漕ぎに供えてボロ靴を履いてきましたが、無防備の足首が気になります。山際に沿って往復し、さらに範囲を広げますが見つかりません。本の間違いか、と小屋の上部にも登りました。かつては風穴小屋が幾つかあったようでその痕跡が残っています。落石が気になるガレ場が続きます。ガレ場だからこそ地下の冷風が吹き出すのですが、県道からは、岩石が積み重なった様子などはまったく想像もできませんでした。葉が落ちた冬に来よう、と諦めました。

 県道から奥まった所に、この辺りでは一番古そうな家があります。蔵も見えます。一旦通り過ぎましたが、些細な情報でも、と引き返しました。おばあさんからおじいさんへの応対のバトンタッチで一気に解決か、と思われましたが…。郷土史に詳しい「たくろ」さんを紹介してくれたのに留(とど)まりました。「あの交差点を…」と続く道順は上の空でした。この時点では、双六の「上がり」を前に「五つ戻る」の心境で、食パン2枚の朝食ということもあって出直しを決めていました。しかし、道が違う、と追い掛けて来るおそれがあります。せっかくの好意に、その家から目が届かないところまで、「行くフリ」をすることにしました。

 私は結構人の目が気になる質(たち)です。無視してもよいのですが、何か背中が気になります。最初のポイントなので覚えていた道に向かいます。しかし、ここまで来るとその店まで行く気になりました。この先には「旧大祝邸」があるし、と、それこそ適当に何回か曲がると理髪店「たくろ」が見えました。
 チャイムを鳴らすと、奥から主人が顔を出しました。家族のお年寄りが「郷土史研究者」と思い込んでいましたから、その若さに戸惑いました。この時に、初めて昼食時だったのに気が付きました。配慮に欠けたかなと遠慮がちに問うと、「一緒に行く」と言います。私と違い仕事中の身です。「申し訳ないから場所だけ」と断りますが、「予約のある2時までならOK」の言葉に、その好意を受けることにしました。

権祝の「矢」石

権祝の「矢印石」 先回りしていると、鎌を片手に自転車で到着。この辺りには駐車スペースがないので、さすがは地元、と妙に感心してしまいました。詳しいはずの彼ですが、確かこの辺と鎌を入れますが、空振りでした。こちらは素手ですから、近くの草をザックで押し別けて探します。
 その右手のやや上から、ようやく「あった」の声が挙がりました。基準とした「風穴小屋」の右下斜面という位置でした。この密生し絡まった藪です。記憶にあっても、一発で指を差せるのは無理でしょう。中央に「矢」と彫られた巾1m余りの石は、上から押さえるように曲がった木に支えられて何とかずり落ちずに済んでいるように見えました。

権祝の「矢印石」
「矢」文字の巾は26センチ

 この「権祝の矢印」の前に立つまでに幾つかの偶然があったので、今、共に見ている「たくろ」こと原さんを介して完結した物と人とのリンクの連鎖に不思議なものを感じました。また、残された時間の中で「北斗神社」の話を聞くことができた「おまけ」までつき、私には「権祝」様々の一日となりました。

権祝の「境石」 平成23年4月15日現在の「権祝の矢石」です。「境石」と正式名が付き、枯れ草も刈られて整備されていました。歩道からも一目でその存在が確認できました。