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矢作社武田八幡社合殿(桜湛) 茅野市粟沢 19.1.4

 「上川」沿いの県道を伝って、御座石神社へ向かいました。ところが、正面やや右という位置は対岸になりますが、そこに見えるこんもりとした林がどうしても気になります。近づくと、木々の枝先から覗く建造物の屋根が大きくせり出しているのが見えます。御柱は確認できませんが、その形状から神社に間違いないようです。

 御座石神社の写真を撮り終えたので、パソコン前での“座正月”でなまった足をほぐすには絶好の機会、とその神社を参拝することにしました。ところが、あの橋を渡ればすぐに着くと予想したのですが、道なりに進むにつれて肝心の橋が遠ざかっていきます。結果として、最短距離と思えた橋はこの先の支流に架かる橋で、その橋を渡るには、本流をさらに溯った先にある橋から戻るという“初期の目的”通りになりました。

 歩く方向が逆になると、向かい風がエリを立てても懐に侵入してきます。さらに畦道脇の日陰に残る雪と未だに溶けない霜が視覚からも飛び込んできます。こうなると、「寄り道するんじゃなかった」と後悔の念が背筋まで冷やします。ようやく、前屈みになって上目遣いで見る先に鳥居が現れました。

矢作社・武田八幡社合殿

 案内板から、矢作社(やはぎしゃ)武田八幡社合殿とわかりました。社殿は立派な造りで、遠くから屋根の大きな反りが確認できたのも当然でした。

矢作社・武田八幡社合殿「由緒」
案内板『矢作社武田八幡社合殿の由来』から由緒を抜粋

 案内板を読むと、以前より気になっていた「桜湛」の文字があります。しかし、喜んだのはつかの間で、読みにくい文とあって始めから読み直すと、桜湛えの木がこの境内にあったとは書いてありません。

「桜湛木」の跡? 注連縄が掛かった一画があります。その中の丸石は「ただ置かれた」という状態ですが、饌米や賽銭が供えられています。
 謂われのある石にしては“素朴”ですが、昼湛え(桜湛木)神事があった遺構のようにも見えます。

 結局は、案内板の文字「桜湛」を読んだだけになりました。今来た道と下流に見える粟沢橋を交互に見比べ、はるかに近い粟沢観音下に合流すると思われる砂利道を帰路としました。

桜湛神社 29.4.8

桜湛神社
長野県『信州デジ蔵』から転載

 「明治33年11月刻」とある銅版画〔矢作神社の景〕に、「…故に神官出猟には必ず神事を挙げ、神矢を請い幸を祈り、猟終われば礼祭を行う。桜湛の神事是なり。…古誌に大己祭・桜湛神事・粟沢鎮守祭なりと称するもの、皆矢作神社の祭事にして…」とありました。
 絵巻風の「景」なので場所は特定できませんが、矢作神社(改称前)の境内ではなく、大天白社の辺りであることがわかります。