諏訪大社と諏訪神社トップ / 上社散歩道メニュー /

柳湛木跡 茅野市矢ヶ崎 19.2.4

 諏訪七木の一つである「柳湛木」の推定地は、「茅野市矢ヶ崎」とされています。ある本に、ショッピングセンター「io(以下イオ)」の辺り、とやや具体的に書いてあったので、どんな所なのか出掛けてみました。

イオ
現在は閉店したイオ

 中央の鉄塔が、イオのシンボルタワーです。その後ろの山が「デイダラボッチ」の伝説がある小泉(こずみ)山で、そのまた背後が八ヶ岳連峰となります。以上、「柳湛」を紹介しようと足を延ばしましたが、“推定地”とあって、その景観を紹介するだけという苦しい結果となりました。

 茅野市『茅野市史 上巻』の〔諏訪神社の成立〕では、「柳湛木は本町の石田・竹村祝神(いわいじん)付近にあったといわれ…」と、やや具体的に書いています。そこで、両神社を確認しようと再び出掛けました。

竹村神社 イオの周辺を歩く中で、駐車場に接して大きな御柱が見えます。その前に立つと、額束(鳥居額)に「竹村神社」が読めました。
 ただし、「竹村」は茅野市では多く見られる姓なので、本に載る「竹村祝神社」なのかは確定できません。鳥居と祠が立派なので、かなりの旧家であることは間違いありませんが…。

石田祝社 一方、イオの正面には、お互いに「場違い」と「目障り」をなすり付け合っているような「石田祝神」がありました。
 見方によっては、ショッピングセンター内にあるオアシス的な存在とも言えますが、イオの建設時に立ち退きを拒んだことは容易に想像できます。


石田祝社 平成29年8月。久しぶりにIO(イオ)の前を通ると、ショッピングセンターは跡形もなく、完全な更地になっていました。石田祝神社だけが、何事もなかったように存在感を高めていました。



石田祝神 イオから御座石神社への道をとると、別の石田祝神がありました。同じ名称ですが、両社の距離は極めて近いので、「どちらが」と決める必要はないとしました。
 今日の探索で、竹村神社と石田祝神社はイオの敷地の両側にあることがわかりました。しかし、推定地が狭まったわけではないので、結果として「イオの辺り」と変わりませんでした。

 『諏訪郡諸村並旧蹟年代記』の〔塚原村(矢ヶ崎村から分村)〕の項に

柳湛木古寺之前に有之ト云、百年も以前ニ退転也、大雪にて倒れ断絶す、是は石田一統ノ氏神、又神宮寺末東覚坊寺領
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

とあります。寺があった痕跡を見つけることはできませんが、「湛え木の跡に祠を建て氏神にした」と読めます。これが「石田祝神社の付近」とする根拠でしょう。

柳湛木跡 写真は、国土交通省『国土画像情報』からダウンロードした航空写真です。イオがまだ建設前である昭和51年10月の一枚を選びました。
 石田祝神社は移転しなかったことが確認できているので、『年代記』からは「柳湛跡は、石田祝神社の周辺」となります。
 右上に細く延びる、御座石神社へ続くスジが古(いにしえ)からの道なのでしょうか。もしかしたら、神使(おこう)や大祝がこの道を通ったのかもしれません。これ以上資料がないので、「柳湛はここまで」としました。