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上社御射山社の“御神体”は「入笠湿原」 諏訪郡富士見町 1.9.29

 令和元年になって、ようやく諏訪大社上社御射山社の謎を解き明かすことができました。

御射山祭における社殿配置

上社古図「御射山」
神長官守矢史料館蔵『復元模写版上社古図』(部分)

 中世の『諏方大明神画詞』では、御射山祭を「廿七日早旦、一ノ御手倉、大祝以下大小の神官榊を捧げて山宮に詣ず」「四御庵の前にて大祝御手払い、衆人展転して是に随う、山谷に響きを伝え馳馬頻(しき)りに驚く」と書いています。
 しかし、現在は大きく様変わりしているので、図中の「山宮(三輪社・虚空蔵)」を御射山社として進めます。

御射山社の背後に“何か”がある…

上社御射山社 私は、上社の御射山に足を踏み入れて以来、御射山社の向きに不自然さを感じていました。
 と言うのも、大祝が山宮(御射山社)に詣でる姿に倣って社殿の前に立つと、背後の木々に遮られて見えませんが、その向こうは遠く離れて宮川が流れ、南アルプスの末端である山並みが連なっている景観になるからです。山宮として八ヶ岳を背後にした社殿配置なら納得できるのですが、言わば下り一方の谷底とあっては「落ち着かない神様の背中」に疑問を感じてしまいます。

御射山社の御神体は「入笠湿原」

 諏訪盆地と八ヶ岳の裾野では、諏訪湖の西岸を除けば、守屋山が抜きん出た存在を誇っています。それも富士見町まで南下すると、代わって入笠山の山容が目につくようになります。
 最近になって、「それがあった!!」と気が付けば、関連する様々な可能性に考えを巡らすようになります。ある日、季節のニュースとして流れた「入笠湿原」から、「御射山社の造営は、その湿原信仰から始まった」という考えに至りました。つまり、下社の旧御射山社も八島ヶ原の湿原祭祀が根本ですから、上社も同じ御射山社として同列に置くことができるからです。

富士見町水系図
『地理院地図Vector』を一部加工して転載

 しかし、入笠湿原に祭祀跡があるとは聞いていません。今一つ決定打に欠くと頭を悩ませる中で、富士見駅に近い国道には信号「富士見峠」があり、長野県と山梨県の分水峠となっていることを思い出しました。
 そうなると、諏訪大社上社の前を流れる「宮」川は、諏訪神社川ではなく、御射山社川が語源だったとも思えてきます。

地図で確認

 グーグルマップに「御射山社→入笠湿原」ラインを引くと、御射山社の社殿配置(向き)とほぼ一致します。これで「御射山社の御神体は入笠湿原」と決まったので、そのラインを眺める写真を撮りに出掛けました。ところが、そのライン上に立つと、湿原は窪地とあって麓からは見えないことに気が付きました。また、その代わりとしてもいい入笠山も、前山に隠れて望めないこともわかりました。

入笠山と御射山社

 今までやってきたことが無になる可能性を覚えながら地図を眺めると、見た目の最高峰と言えるのが1859mのピークとわかります。そこで、湿原は取りあえず置いて、この山を神体山とする方向に舵を切りました。

御射山社−入笠山ライン 1859mのピークは(最高峰は西峰という)守屋山東峰と同じ状況ではないかと、新たな展開に向けてラインを引き直したのが、このグーグルマイマップです。
 さらに、念押しを兼ねて御射山社へ出向き、社殿の柱にスマホのコンパスを沿わせると、約51°でした。

上社御射山社 マイマップを拡大すると、ラインと社殿の向きが微妙にズレています。
 一日おいて、これは磁北の差と気が付き、諏訪の磁北6.8度を加味してみました。すると、「現地で測定」図でわかるように、社殿の向きにより近くなります。そのため、修正した44.2度が現在の社殿の方位角となりました。

富士見町水系図 それに沿って、P1859(---)と44.2度()のラインを水系図に引いてみました。その結果、御射山社後方の延長線上に、当初の考え通り「入笠湿原」があると確認できました。
 予想以上に紆余曲折がありましたが、冒頭の「御射山社の向きの不自然さ」は、私なりに納得できるものとなりました。
 ここで、「御射山社の後方」についての伝承や文献は皆無なので、以上の“状況証拠”を挙げて「御射山社の原初の祭祀形態は」と宣言しました。

 現在、木々の下となる御射山社の境内は暗いものとなっています。しかし、明治初頭頃に作られた穂屋には「富士見窓」が明けられていたそうですから、御射山社からは、富士山や入笠山・八ヶ岳などが見える草原であった可能性があります。