腕時計を見る度に、歩く距離以上に長針が大きく振れています。春宮への所要時間が“丼計算”だったことが原因ですが、太陽を頭上にしての駆け足だけは御免です。それでも、急ぎ足の努力もあって5分前には鳥居をくぐることができました。
神事が始まる1時はとうに過ぎていますが、境内では誰もその気になっていません。その不審さも、30分を経過してみれば、ここ春宮に御霊代を迎えに来る行列が「秋宮を出発する時間」と思い当たりました。思い違いの結果であっても、境内の緑陰で待機できた自分の選択を評価しました。
春宮の神事は、社殿の構造から自分の目で参観するのは難しいことがわかっています。御霊代が入御した神輿が動き始めるまでは木陰で待機するのが得策と、幣拝殿前から引き揚げました。
宮司が見守る中、今日は門と化した幣殿から神輿が出てきました。春宮でも、御霊代を乗せた神輿だけが幣殿と神楽殿を通ります。
行列が整うと、遷座の一行は、お舟に先立って秋宮へ向かいます。
遷座祭で神輿が下馬橋を渡るシーンは見所の一つですが、多くの人はお舟の曳行が目当てなので、写真を撮る人や行列に付き添う人は多くありません。
春宮から延びた直線の参道は、春宮大門の鳥居で国道と交差します。行列は、赤になったままの交差点を進み、「春宮の大灯籠」を経て、地元では「三角八丁」と呼ぶ一辺約880mの遷座道を、神様も行列の人々も等しく灼熱に焼かれながら秋宮へ戻ります。
秋宮でも、御霊代を乗せた神輿は、神楽殿と幣拝殿の中を素通りして宝殿の前に安置されます。そのため、「門」がルーツという「楼門造」の幣拝殿は、神輿を担ぐ人だけが誰はばかることなく土足で通ることができます。
一連の神事は幣拝殿の向こう側で行われるので、スピーカーを通して伝わってくる式次第から進行状況を知ることになります。
お頭(かしら)をお下げ下さい」の声と警蹕(けいひつ)が頭上から降り注ぎ、「お直りください」で遷座の儀が終了したことがわかります。
東山田長持保存会雅楽部奏楽部による雅楽が止むと、カナカナと涼しそうな響きが戻ってきました。
3時の下諏訪全町放送「犯罪に巻き込まれないように…」が厳かな秋宮境内でも別け隔てることなく流れましたが、延々と続くかに見えた玉串奉奠も終わり、宝殿の御簾が下ろされて御扉が閉められました。
3時半、「宮司一拝」で遷座祭と下諏訪社祭は終了しました、庶民の祭りである「お舟祭り」の柴舟は、今どの辺りを進んでいるのでしょうか。
本にある「楊柳の幣(ぬさ)」は、「古例では二百五十本、今は百本の束」とあります。
神職がその楊柳を順に手渡しし、宮司がまとめて神前に奉ります。その楊柳は、春の遷座祭と違い、緑の葉が茂っていました。