「翁媼(おきなおうな)焼却神事」は、関連本では「お舟祭り」翌日の8月2日になっています。以前より興味があったので社務所に問い合わせたところ、お舟祭り終了後と分かりました。7時「頃」というのは、年(曳行時間)によって大幅に変わることがあるからだそうです。かつては翌日の一番早い時間、午前0時に行われたのでしょうか。
平成19年の神事です。お舟から降りた翁と媼は、立ったままで御祈祷待合所前で控えていました。両人はいいのですが、支えている人が辛そうです。背後の待合所は戸が開かれたままなので、神事相撲の取り組みが終わった力士でしょうか、中で着替えをしている姿が見えます。
今、翁と媼を目の前にしているのですが、翁媼焼却神事は初めてなので、この先どう展開するのか予測がつきません。ようやく聞こえたのが「参集殿で」の声。人の流れがそちらへ向かったことから、待合所の着替えが長引いているので、両人の“着替”は参集殿に変更になったと理解しました。
参集殿前で控えている神職に確かめたところ、一般の方は遠慮して欲しいとのことでした。玄関のガラス戸からロビーをのぞき見すると、神像であっても身ぐるみを全てはぎ取られた状態になっていました。桐の小箱が面、段ボール箱が衣装でしょうか、ワラの体を置いたままで収蔵庫へ運ばれました。
ようやく、神職が提げた提灯を先導に、およそ20人の人波が社務所横から境内に沿った小道を進みました。
アスファルトに蓄積された日中の熱が、今は足元に放射されていると実感できます。その向陽高校へ向かう一般道を、祭が終わる直前の物憂げさを漂わせながらが内御玉戸社へ向かいます。
内御玉戸社は日中来たことがあるので様子は分かっていましたが、今は、垣だけがようやく見分けがつく闇の中でした。
ワラだけの人形二体を玉垣作り付けの鳥居に立て掛け、やや増えた30人がその前に控えました。神事の開始です。祝詞奏上の中で「人形保存会」と聞こえました。
境内中央で人形の解体が始まりました。十字の木芯に固く巻かれたワラ束は、“呪縛”から解き放たれたかのように大きく嵩を増しました。
提灯から忌み火を移しワラに点火します。この暑さで乾燥しきったのでしょうか、見る間に炎が上がりました。
風もややあり、煙を避けた格好で人垣が固定しました。下の民家からも戸を閉める音が聞こえます。ワラとはいえ燃え尽くすのに結構時間が掛かりました。これは神事の手順なのでしょうか、燃え残りがないように入念に完全燃焼させています。長いような短いような、遷座祭(お舟祭り)の最後を締めくくる「火」を用いた神事でした。
最後に神職による談話がありました。保存会へのねぎらいの言葉の後で、「今年は、2月の遷座祭でも楊柳を探すのが楽だった。筒粥神事も凍えるようなことがなかった」「私の知る限り雨の降らないお舟祭りは初めてだが、皆さんどうですか」との問いかけに、しばらくの間の後、「昔は降らなかった」と声が返ってきました。宮坂光昭さんの本にも「祭りに熱しきった体に夕立のさっとくるのも、お舟祭りにつきものという」とあります。「順調だったのは、神様のご褒美なのか、または気を引き締めるようにという合図なのか、それは分かりません。何れにしても残る半年も精進潔斎をしたいものです」と結びました。
私は全ての神事に顔を出しているわけではありませんが、御射山祭での体験もあり、神職が積極的に氏子とコミュニケーションを図っているように思えます。ちょっとした話ですが、氏子と諏訪大社の距離を縮めるのに役立っていると感じました。前述の談話は後で思い出しながら書いたので、余り正確ではなくニュアンスも違うかも知れませんが、大筋では参考になると思います。