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當社之犬射馬場(とうしゃのいぬいばば) 18.3.4

犬射馬場標石 秋宮には、住処(すみか)を追われて、この境内を安住の地としたかのような石碑が幾つかあります。
 場所としては一之御柱脇という一等地ですが、放水銃格納ボックスと「奉賛金御案内」板の裏に、文字と写真通りの日陰となったスポットがあります。そこに、大きさは様々ですが「犬射馬場」と彫られた石碑が立っています。しかし、彫りも浅いので、観光客の目には入っても焦点は結ばないでしょう。

犬射馬場標石(秋宮境内) 私は、かつての「馬場」を偲ぶものとして気にはなっていました。ところが、境内北側のフェンス前にも同じ石碑が並んでいるのに気が付くと、興味のボルテージが一挙に上がりました。


犬射馬場

 さて、流鏑馬(やぶさめ)なら知っていますが「犬射」とは何でしょう。「まさか犬を射ることは(ない)」とネットで検索すると、…まさかの「犬追物」が出ました。さっそく下社に関する刊行物に目を通してみると、秋宮入口にあるホテル山王閣付近は下社大祝金刺氏一族の居城だったとあり、さらに、「上馬場」の字(あざな)が残っているように犬射馬場があった、と書いてありました。

 さらに、その四隅に立てられたのが「犬射馬場の境石」で、現在町文化財に指定されている、と続いています。(さらに)さらに、江戸時代に「犬追物」が廃(すた)れると広大な馬場も荒れ、今で言う不法占拠が後を絶たなかったため、その境界を示すために「犬射馬場」の間に小型の境石を配置したともありました。それが、今境内の隅で余生を送っている「犬射馬場」石というわけでした。そうなると、今度は本家の一抱えもあるという正式版が見たくなりました。

愛宕地蔵尊の犬射馬場の「標石」 享保の時代に編纂された村絵図があります。諏訪史談会『復刻諏訪藩主手元絵図』から〔友之町〕の一部を転載しました。
 左下に、薄い線で囲い、それに沿って木が描いてあるのが現在の呼称「犬射馬場跡」です。それがわかると、上に下社馬場と書いてあるのが見えてきます。

「當社之馬場是ヨリ…」碑を探す

上馬場の「犬射馬場標石」
後で標石と分かった不思議な「石碑」

 3月11日、下諏訪町民俗資料館で(地元なのに)「わからない」と返事をもらったので、持参した地図の「上馬場」と「菅野町」だけが頼りとなりました。全くの当てずっぽうなので、下諏訪中学校の西側周辺を目を光らせながら、「行きつ戻りつ・大路小路を問わず」と歩き廻りました。
 これが功を奏してか、T字路正面の民家前にそれらしき石碑が見えます。犬射馬場の標石にも見えますが、当然あるはずの案内板がありません。横の文字に朱が入っているなど歴史を感じさせない新しさに気持ちが徐々に離れていきます。それ以上の確認もせずに中学校脇の坂道を上りました。

 文化財の所在地の欄には「管野町・他」とありますから、国道を渡り、「適当」という方法で道を選んで歩き続けました。こんなことで対面できるのかと思いましたが、「(慢性の運動不足とあって)足の運動にはなった」と、見つからなかった時の理由を用意しながら、さらに自分にとっては未知なる路地を彷徨(さまよ)いました。

愛宕地蔵尊の犬射馬場の「標石」
電柱の根方が「犬射馬場の標石」

 上着を脱ぐと寒く羽織ると汗をかくというウオーキング兼用の中で、「辻」といった方が雰囲気が出る交差点に何やら石が並んでいるのを見つけました。
 赤い幕が際立つので、初めは地蔵堂に目が行きました。「由緒書」があるからには有名なのだろうと読み始めると、それが「史跡犬射馬場」の案内板でした。

犬射馬場標石(上馬場) 電柱脇にある、本の記述通りの「一抱え」石を角度を変えながら眺めました。裏の基部には「武居祝」「禰宜太夫」と併記してあります。
 案内板の解説をそのままコピーしました。「往古諏訪神社が武家として華やかだった頃、ここに弓馬錬武場兼祭場あり犬射馬場と呼ばれていた、享保十八年(1733)にその四隅に立てた堺石があり、一周すると四五〇メートル程の矩形の地である。犬射馬場と刻んだこの石柱は四至の標石の間々に建てて境界を明らかにしたものであるこの表示板の南方五メートルの垣内にある標石には…當社之馬場是ヨリ南江四拾間二尺 是ヨリ東江八拾三間二尺(享保拾八年三月改)と刻まれている。」

 四基ある内の一つとあるこの標石は無加工の自然石です。そうなると先ほどの石も…。ろくに読まなかった碑文をイメージに替えて思い起こすと、ただの石碑は「標石」と名を変えました。

犬射馬場標石(上馬場) 初めての道を戻る場合は視点が逆になるので、記憶した景観が役にたちません。初心ならぬ初道に帰ることにして、改めてスタートした秋宮前に立ちました。
 すでに断片的になりかけた記憶を基に右左折を繰り返し、ようやくその写真を収めることができました。
 残るは二基です。二点を地図に記入しましたが、それが対角線なのか一辺に当たるのかがわかりません。取りあえず長方形の対角線と自己判断し、それに対応する場所を目指しました。しかし、適当法では残りの二基が見つかる確率は低く、今では存在していないこともあり得ます。いつもの、見つからない場合の常套手段ですが、後の楽しみにとっておこうと秋宮に戻りました。

史跡・犬射馬場跡 18.3.18

 先週確認した標石の位置と説明板にあった方角などの情報を、『Google Map』に重ね合わせてみました。


 すると、馬場の外周は現在の道路に残っている・その2基の標石は対角線、とにらんだ通り長方形のエリアが浮かび上がりました。自分の目で見ないうちに「これで馬場跡が確定した」とは言えないのですが、ここしかない、とダメ押しに出かけました。

残りの「當社之馬場是ヨリ…」碑を探す

犬射馬場標石と境界に沿った道
気が付かなかった「標石」

 午後は雨との予報通り、時間の経過とともに陽が薄くなります。先週と同じ道をたどり、同じく“目キョロ”にした交差点の角を改めてチェックしました。
 しかし、塀や敷地への侵入をブロックする丸石があるだけでどこにも見当たりません。ここを基点に一ブロックだけ探しましたが、「今はどこかの庭石に」でしょうか。残りの一基に望みを繋げることにしました。

犬射馬場標石と境界に沿った道 地図にマークしてある交差点に立ちました。しかし、…見当たりません。逆に「ここにしかないのだ」と強気になっても、目は弱々しくさまようだけです。その力を抜いた視線がよかったのか、フェンスの基部に地下から押し割って出てきたかのような石に目が留まりました。

犬射馬場標石 近づいて「當社」を確認すると、思わず「ムフフ」と鼻息が出ました。この辺りは、チョット見には平地ですが、視線を広げるとなだらかな坂になっています。承知川の氾濫を含めた長年の土砂の堆積で、今目にしている高さまで埋まったようです。


犬射馬場標石2 そうなると「あの丸石が…」ということになります。戻ると、見るのは二度目となりましたが、果たして最後に残った標石でした。石とブロック塀の隙間を覗くと「當社」と「従是(これより)」が見えますが、その下は埋まっているので確認できません。
 これで全ての標石を確認でき、一仕事終えたような安堵感と共に達成感が広がってきました。

 実は、先週この二つの標石前を通っていました。注意していたのにも関わらず見逃していたのは、初めの二基のような設置当時のまま、という先入観でした。