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風の祝(風祝)と下社武居御室社

 宮坂喜十著『諏訪大神の信仰』に、〔諏訪神社の風の祝〕の章があります。金刺(今井)信古(1818−1859)が著した『款冬園(ふきえん)』の、

 下社風の祝屋敷跡は友之町の南方流鏑馬馬場の内輪にありて今のあごなし地蔵のある所なり、風の祝の事、藤原清輔『袋草紙』にもみえたり…

を取りあげて、諏訪の風神信仰を考察しています。ここでは「御室社」に関する部分(の全文)を紹介します。

 この御室社は明治になるまで下社の摂社であった。遷座祭にあたって祝たちはまず御室社に参り、つづいて内御玉戸社、外御玉戸社の順で巡拝してから大祭の場に臨んでいる。この順序が重要で、御室が武居古信仰の中心であったことを示しているのである。
 長野県町村誌には「武居御室社、祭神不詳、東西十間、南北四間四尺、面積四六・六坪、祭日一月一日、三月十四日」とある。この祭日がかつての御室入り、御室明けをあらわすものであろう。

 『長野県町村誌』は明治14年刊行とありますから、その頃は、状態はともあれ「御室社」は健在だったと思われます。

八幡社 県立歴史館蔵『国幣中社諏訪神社下社絵図』から、御室社に関係する部分を転載しました。
 右上が「武居祝の神殿(ごうどの・屋敷)」です。その前に赤枠で囲った「御室社」があり、左方には「御玉戸」の祠も描かれています。

 現在はそこに小祠があるが、すでに諏訪大社の手を離れ、武居衆が大社に依頼して祭りを続けている。もう一つの問題点は御室社が八坂社などとあいまいに呼ばれていることだ。祠内に幣二つをまつり、八坂彦と合祀の形をとっているが、御室社であることは明らかである。古代祭祀の一つの滅びは、歴史の一つの消滅につながるだけに、大切にしていきたいものだ。

 宮坂喜十さんは「御室社は、すでに諏訪大社の手を離れ…」と書いていますが、それは逆で、御室社は秋宮の八幡社に合祀されて諏訪大社が祭祀を行っています。そのため、「武居衆の手を離れ」となりますから、現在の祭祀方法は理にかなっていることになります。

武居八坂社祭 写真は、文中に出る八坂社祭です。地元である武居区の役員(武居衆)が参列します。現在は一ヵ月遅れとなる2月1日に、内・外御玉戸社祭に引き続いて行われていますが、「幣帛二つ」は確認していません。
 次の〔源流は武居の御室〕では、以下のように書いています。

 この頃すでに諏訪の実権は金刺大祝の掌握するところで、大祝たる神権を背景に信濃一国に覇をとなえていたのである。そうした中で古信仰の伝承者たるタケイは風の祝の名で信仰第一の座を占めていたものと考えられる。

風の祝屋敷跡(あごなし地蔵尊)

愛宕地蔵尊
馬場の境に沿ってできた道

 犬射馬場跡の一画にお地蔵様があるのを知っていたので、『款冬園』に見える「あごなし地蔵」ではないかと訪ねてみました。ところが、赤屋根の地蔵堂の前に立つと、「あごなし地蔵」ではなく「愛宕地蔵尊」でした。しかたなく馬場跡に沿って「あごなし」を探しましたが、お地蔵様はここだけでした。
 後日、あごなし地蔵は、愛宕地蔵尊の別称と知りました。

風の祝屋敷跡(武居祝家)

 諏訪史談会が調査した「武居祝家遺跡略図」では、表門の前に小さな鳥居が二つ記入してあります。現在の八坂社と、『国幣中社諏訪神社下社絵図』に書かれた御室社でしょう。この場所であれば、武居祝がここで風鎮め神事を行ったことになります。そうなると、金刺(今井)信古が書いた『款冬園』にある「風の祝屋敷は友之町」と矛盾します。大祝とは別に「風の祝」がいたのでしょうか。

現在の御室社

八幡社 秋宮の一之鳥居を正面にすると、右手が小高い丘になっていることがわかります。ここに鎮座しているのが境外末社の「八幡社」です。
 現在、「御室社」はこの八幡社に合祀されています。『長野県町村誌』の記述から、明治14年以降に、武居の地からここに御室社を引き揚げたのでしょう。

『造営帳』に記された「御室・笠無(風無)」

 諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』で、「風鎮め・風無」の異称とも言われる「笠無」と「御室」拾ってみました。

『春秋之宮造営之次第』長享2年(1488)
 春宮 一、かさなし 西牧・小倉
 秋宮 一、かさなし 秋和・塩尻
『下諏方春秋両宮造営帳』天正6年(1578)以前
 一、春宮笠無之造営 酉(西)牧 小倉郷より立之
 一、御室十間廊造営無御座候間是者前々下立自諏方殿立被
   申候上葺自営公事勤申候

 書留帳の一部紛失や記帳・書き写し漏れも考えられます。そのため、気が付いたことを項目として並べるだけとしました。記述順から、

となります。

『下諏方社列記』に見る「御室社」

 「延宝7年(1679)幕府よりの命に依り書き上げたるものの控にして…」と解説がある文書です。

一、御室社に於いて、三月丑(中略)御供を備える、大祝・五官祝神事を勤める、伶人神楽を奏す、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』

 時代によって大きく異なりますから、「風の祝=武居祝」に関連する事物を紹介だけに留めました。終わりに、『款冬園』の「款冬」って何だと調べると、「かんどう」とも読み、(1)フキの異名 (2)ヤマブキ(山蕗)の異名 (3)ツワブキの異名、とありました。