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武居恵比須社 下諏訪町武居 18.3.11

 秋宮から向陽高校を経て御射山社へ続く坂道があります。その道のどこかにある「武居恵比須社」を目指して、上る、というより登りました。時折、大きく露出した足がまぶしい女子高生が下ってきます。上り・下りと書いたように、国道「大社通り」の信号から始まる道が「八幡坂」。さらに、秋宮から傾斜を増した通学路に付いた“愛称”が「大根坂」。(悟られないように)横目で見た大根は引き締まっていました。

 「武居」地区は道に沿って延びているので、仰ぐような縦長の住宅案内看板があります。もしや、と目で追うと赤い字の恵比須社がありました。「左・右・左・右」と覚えやすい曲がり順を頭に入れました。
 鳥居が見えました。正面の拝殿を回り込むと、本殿が御柱に囲まれて鎮座していました。由緒などの案内板がないのは、観光や他地区の人には無縁の産土(うぶすな)社だからでしょう。

武居恵比須社
  水色の帯が諏訪湖
 諏訪湖周の古い神社が高台にあるように、ここからも諏訪湖が下方に望めます。

 地元の「武居」地区では「恵比須」で通っていますが、本来は「恵美酒」で、いわゆる「エビス様」とは無関係と言われています。諏訪入りした建御名方命に対し、洩矢(明神)とこの武居恵美酒が連合して戦ったと言い伝えがあるように、現・諏訪大社よりも古いという話もあります。

恵比須社本殿
武居恵比須社「本殿」

 郷土史関連の本には、「武居」という地名から、「武居大友(伴)主や下社の大祝・武居祝(ほうり)の始祖ではないか」という話が載っています。
 『神長官守矢史料館のしおり』の「守矢神長家の話」でも、「口碑によりますと、そのころ、稲作以前の諏訪盆地には、洩矢の長者の他に、蟹河原の長者、佐久良の長者、須賀の長者、五十集の長者、武居の長者、武居会美酒、武居大友主などが住んでいたそうです」とあります。
 「口碑」とは(調べて分かった)「言い伝え」のことですから、弥生時代からの伝承をどこまで参考に(信用)して良いのか分かりませんが、かなりの説得力はあります。

 その余りの古さ故か、前述の文末に「説」や「話」が付くように、諏訪の神々の表舞台には登場しません。また、下社が上社側に焼き払われ多くの古文書等が焼失したとありますから、研究者も調べようがなく、地元の言い伝えしか紹介できないのが現状のようです。そのため、私は、秋宮境内にある恵比須社を武居恵比須社と思っていました。