平成19年、暑さを幾らか和らげてくれる薄曇りの下、御作田社近くのベンチでお年寄り二人とたわいのない話をしながら2時を待ちました。
まずは「御作田社祭」です。斉田を祓い、神職・大総代・御頭郷総代・町内会役員・招待者・一般へとお祓いが続きます。神事は、献饌・祝詞奏上・玉串奉奠と通常の進行ですが、社前に斉田に植えられる苗が置かれているのがこの神事の特徴でしょうか。
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神職が木製の鍬(くわ)・鋤(すき)・馬鍬(まんぐわ)を持って、田に見立てたゴザの四隅と中央で耕作の所作を行います。内容は、上社の1月15日の「田遊神事」と同じようです。今日は権宮司の姿が見えません。上社でも「大祓式(夏越祓)」が行われるので、そちらを担当するのでしょう。
瑞垣の随所に結わえられた冬青(ソヨゴ)の米粒のような白い花がこの季節を印象づけています。その斉田脇から舞を見守りました。
神職の笛と笏拍子に田植え唄が加わると、苗に見立てた杉の小枝を束ねたもので田植えをする所作が入りました。「悠長」という言葉は現代の生活にはそぐいませんが、「舞の間だけでも」と、追いやっていた時の流れの中に身を委(ゆだ)ねました。
大総代の中から選ばれたという白丁姿の耕作長役が、御作田社の社前に供えた苗を宮司から受け取ります。入口の結界が解かれ、耕作長が慎重に初めの一歩を沈めます。
宮司が入口で見守り、招待者や大総代、報道関係者が見守っていますからかなりのプレッシャーと思われます。田植えそのものは馴れたもので過不足なく植え終わりました。頭の中では手持ちの苗と残りのスペースを計算しながらでしょうが、そんな素振りは全く見えませんでした。2時40分には田遊神事は全て終了しました。
平成20年は、ビデオカメラを持参しました。今回は2年連続なので“勝手”がわかり、「撮影場所はどこが」という悩みがありません。
玉垣の石柱に肘を突いて片手で撮影しました。ビデオは手持ち撮影だと画面の揺れが気になりますが、まずまずの出来でした。紹介する「田舞」の映像は、苗を持つ始めの部分です。
解説書等には、「かつては、翌日の7月1日に春宮から秋宮へと遷座が行われたので、田遊神事(御田植祭)と遷座祭は“セットもの”、すなわち、田植えが済んでから秋宮(山宮)へ帰るのでは」とあります。
『下諏訪町誌』の「浮島之~事」にある、江戸時代後期の御田植え神事の様子です。