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「筒粥神事」諏訪大社下社春宮 1月14・15日

 諏訪大社の筒粥神事は、14日の「火入れ」・15日の「神占」と二日に渡って行われています。

 「長野県」と限定されますが、毎年、諏訪大社の春宮で行われた「筒粥(つつがゆ)神事」が歳時のニュースとして流れます。

「筒粥神事」
22.1.14 

 1月15日、テレビニュースに“聞き目”を立てていると、昨夜行われた筒粥神事の映像が流れました。小さな社殿の中で大勢の神職が釜を囲み長いシャモジでかき混ぜているのを見て、これは、「寒い・眠い・煙い」に「足のしびれ」が加わった「荒行」ではないかとの感想を持ちました。
 また、茎の中に入ったあずき粥の量で農作物と世の吉兆を占う葦束は、テレビ画面では、触るのもおぞましいもののように見えました。「葦味の小豆粥」と思えば(一度は)舐めてみたい気もしますが…。
 一日遅れとなる16日の信濃毎日新聞は、「農作物は全般に良くない見通し」で「世の中は昨年並み」と報じていました。

 筒粥神事について調べると、三輪磐根著『諏訪大社』には以下のように載っていました。

 正月十四日の夜半より、春宮筒粥殿内にて忌火を切り、神釜に米五合・小豆二合・水二升を入れて炊き上げ、これに葦茎を五寸余りに切ったもの四十二本を一束にして入れ、十五日早暁神前にこれを供え、祝詞奏上後、各々の葦一本ずつを切り離して、これを割きその中に入っている粥と小豆の分量によって吉凶を占う。神事終了後、結果を拝殿より、参集した群衆に発表したのち木版にしてわけ与えた。古来農家はこれによって農業計画を立てていたが「神占によって耕作するも一も違うことなし」といい、七不思議の一つに数えられている。

 また、宮地直一著『諏訪史第二巻』では、「御筒粥御炊所若宮祝とある摺物による」として、四十二種の作物を紹介していました。
 その中から稲だけを追うと「小くま早いね・はびろ早いね・立澤早いね・出羽いね・白佐どいね・ひだいね・しら葉いね・よほいね」とあり、これが幕末頃の品種とわかります。「しら葉」を除いて「小熊(諏訪市)・羽広(伊那)・立沢(原村)・出羽・佐渡・飛騨」と地名を当てはめてみました。「よほ」は、諏訪の古代米「諏訪余穂」とわかりました。神託で、この中から今年作付けする稲を選んだのでしょう。

筒粥神事(火入れ神事) 17.1.14

 諏訪では「どんど焼き」と呼ぶ道祖神の祭りがあります。1月14日の夜に行われるので、この祭りに関わると筒粥神事の見学はできません。ようやく役員から解放されたのが平成17年です。あとは寒さだけがハードルなので、重装備をして春宮へ向かいました。

筒粥神事(筒粥殿へ向かう) 夜8時、宮司を始めとする神職8人が幣拝殿前に並びました。幣殿の案に安置されていた葦束は、御祓いの後、三方に載せたまま下げられました。それを高く捧げ持った神職が、先導する神職の後に続き筒粥殿に向かいます。一部凍結した雪が残っていますから、沓(木靴)では滑るのでは、と心配してしまいました。

筒粥神事「筒粥殿」
○内が「葦束」

 報道関係者を除くと、参観者という名のギャラリーが数人という寂しい神事です。現代では、占いは「当たるも…、当たらぬも…」という評価ですから、世間一般では関心がないのでしょう。しかし、別に見せ物ではありませんから神事は坦々と進行します。

 まず忌火(いみび)を起こします。古式通りという、空木(ウツギ)の錐と桧の板の摩擦で発火させます。手揉みでキリを回転させますが、熱が冷めないように手早く交代できる体勢を取るので神職同士の背中が密着してよく見えません。
 かつてこの神事を見学した人から「30分かかった」と聞かされていましたから、一旦、座(撮影場所)を外しました。待つこと20分で、煙が上がり筒粥殿内に動きが見られました。

筒粥神事「神釜」 報道用ビデオライトが当たるとフラッシュ不使用のシャッターチャンスです。30分の1秒ですから(被写体ブレはあっても)手振れの心配はありません。高く掲げたカメラの液晶画面を見ながら静かにボタンを押しました。フラッシュによる影もなく、焚き火の光源による暖かみのある自然な筒粥釜を切り取ることができました。

筒粥殿で大祓詞 狭い社殿内に「大祓」の唱和が満ちあふれ、神事に相応しい場となっています。普通の調理と同じですから、煮こぼれしないように火力を調整し差し水をします。担当者は葦束の下に大きなシャモジを入れ持ち上げるように混ぜていますが、かなり力がいるようです。
 その一部を覚えられるほど「大祓」が繰り返されます。訊くと、約5分の「大祓」を10回繰り返すそうです。さらに薪の補充と攪拌が続きます。小一時間経過すると、神職一人を残して引き揚げました。後は交代で炊き上げるのでしょう。私も、気が緩むと意識の中心に座りこむ空腹と寒さに、「これが限界」と引き揚げました。
 占いの結果は翌朝発表されます。しかし、同じ朝でも真冬の5時です。筒粥殿の前で誓った「明日また来よう」ですが、就寝時間が近づくに連れて気力が萎え、布団に潜った時点で“潔く”諦めました。

諏訪大社筒粥目録

 1月29日、同じ頂くのなら神事のあった1月中に、と春宮へ出かけました。授与所に声を掛け、(名前が分からないので)筒粥占いの表が欲しい旨を伝えると、「少し待ってください」と探し始めました。神事から二週間後では“完売”かなと覚悟を決めた頃、「秋宮なら確実にあります」と、この後の行き先を告げてくれました。
 秋宮では、授与所の巫女さんから、さらに「下の社務所へ」と“転送”されました。初めて見る社務所内は、神職の袴姿がなければ普通の事務所と変わりありませんでした。

筒粥目録(平成17年)

 早速、正式名が「諏訪大社筒粥目録」とある一覧表の内容を見ると、はるご(春蚕)・なつご・あきご、とあります。野菜の出来を占うとばかり思っていましたから、「エッ、蚕」でした。もっとも、蚕そのものではなく絹が生成される繭の出来です。天候の変動や病気に左右されやすいことから占いの対象にしたのでしょう。これを見て、今年は秋蚕(あきご)が「上の上」だから、「春と夏は少なめにして、秋で勝負」というような判断をしたのでしょう。
 かつては、よく当たるので『諏訪の七不思議』の一つに数えられていました。私は農家ではないので「作況指数」を知る機会はなく、「筒粥占い」がどの程度当るのかは分かりません。当たり外れはともかく、両者の統計を比べてみるのも面白いかもしれません。
 最終項には「世の中」があります。これだけは「上中下」の組み合わせではなく「三分六厘」でした。これをそのままに受けると「かなり悪い」となりますが、諏訪大社では「五分を満」とするので72%となります。100%の世の中とはいかなるものか定義できませんが、70%前後は、天気予報で言うところの「平年」と同じに考えてみました。「それでは、平年とはどういうものか述べてみよ」と言われても困ってしまいますが…。

平成21年の筒粥神事

 まだ「神占(みうら)の神事」が未体験だったので、今年は二日とも見学することにしました。

火入れの神事

 二回目となった神事の見学は、「これが春宮か」という工事用のシートで覆われた幣拝殿を見たことから始まりました。「修復中」であることをコロッと忘れていたので、翌朝の「幣拝殿内での神事をこの目で」はなくなりました。しかし、「神楽殿の中で占う」ことはこの先数十年はないだろう、とプラス思考に切り替えました。

諏訪大社「筒粥神事」
修復中の幣拝殿に代わり、神楽殿前で神事が始まる

 見回すと、指を折って数えられた4年前とは大違いの、神事を待ち受ける人の多さに驚きました。報道関係者を含めて30人はいるでしょうか。
 これを見て、写真を撮ることは諦めました。筒粥殿は間口が1間しかなく、しかも壇上にありますから、神事を直接見られる(写真が撮れる)のは最前列の5、6人に限られます。
 社殿前に貼り付いている、いつ着火するともわからない瞬間を待つ人垣を遠くに見ながら、氏子総代や出番待ちの取材記者数人と焚き火を独占しました。30分が過ぎ、40分を経過すると、焚き火を囲む輪の中で「異常事態」の声が挙がり始めました。9時を大きく回ると、私と違い仕事で来ている記者にも待ち疲れの言葉が洩れるようになりました。神事として真剣に火を起こそうとしている当事者には力が萎える、簡便な着火方法もつい口に出てしまいます。
 ここまで「キコキコ」と伝わってきます。私は「弓切り」で経験していますから、この音では発火しないことを知っています。この分では手の豆はすでに破れているでしょう。明日の筋肉痛も思いやられます。
 9時50分、ようやく火が着いたようです。少しの間の後、待ちかねた「大祓」の声が流れてきました。ここからは、工事用の塀の間を通して筒粥殿が見通せます。その前に陣取る人垣は、10時40分に「大祓」が終わるまで崩れることはありませんでした。
 前回は「大祓」の映像を撮り終えた報道陣が帰ると、前掲した写真のように筒粥殿内は丸見えでした。“長期戦”に備えて自宅と焚き火を往復している大総代に尋ねると、「二年ほど前から増えてきた」と言います。

諏訪大社「筒粥神事」 ようやく疎らになった見学者を見て、私の出番と筒粥殿に近づきました。権宮司が見守り“当番”が攪拌する左写真は、フラッシュを使わなかったのでブレ気味ですが、計算した通りの「味のある映像」となりました。
 自宅は、深夜ならここから車で30分の距離にあります。冬山用の寝袋を常備しているので「車内で待機」も考えましたが、低温によるカメラのバッテリー消耗が気になります。心身の充電も兼ねて自宅へ戻ることにしました。

神占の神事

 筒粥神事の二日目「神占神事」は初めてなので、全く様子がわかりません。“不測の事態”に備えて、コンビニで買ったアンまんと肉まんを腹に収めました。余裕がありすぎる3時半ですが、(昨夜来て)焚き火があるのを知っていますから、車内で待機せずに境内へ向かいました。夜半の雪がうっすらと境内一面を覆っています。「まずは筒粥殿」とその前に立つと、扉は閉まっていました。
 周りだけ黒い土を見せている焚き火の番人は、昨夜の若者でした。本人は「成り行きで」と言いましたが、氏子総代と思われる父から言い渡されたのでしょう。体の前後を交互にあぶりながら、菅江真澄が天明4年(1784)に書いた筒粥神事の模様に想いを馳せました。

 御社(みやしろ)のこなたかなたに、榾(ほだ)焚きて人集まりて、ワラ靴の氷・袂の霜とかしてあたりぬ。御社の片辺は柱四つ立たる中に鼎(かなえ)すえて、今日の筒粥煮るめる。御神楽の声を聞きつつ待ちいたるに、やがて小さやかなる戸押し開きぬれば、我先にと潜り入るに、脇差のツバに頭打たれ、袖などをかしこの釘に引っかけて、これを撫でつつあと見返りて、…
信濃史料刊行会『新編信濃史料叢書』から「熊谷本・すわの海」

 焚き火に当たるのはまったく同じですが、私は、ダウンジャケットにマウンテンパーカー。下は2枚重ねの(効果があるのか疑問の)発熱素材のタイツ、ウレタンのインナーブーツに靴用の使い捨てカイロを入れた防雪長靴という重装備でした。

筒粥を引き上げる 4時15分、社殿が開かれ準備が始まりました。権宮司が、まだ湯気が上がる葦束を取り上げて三方上に置きました。滑るのでしょうか、慎重な手さばきです。
 すでに“正装”した祢宜(写真左)がそれを捧げ持ち、神楽殿の奥へ安置しました。

筒粥神事「神占い」 5時前に、神職と氏子総代が神楽殿に着座して神事が始まりました。いよいよの筒粥占いですが、権宮司の背中の動きしか見えません。一本ずつ「上・中・下」を組み合わせた「良し悪し」を声にします。別の神職が書き留めているようですが、ここからは見えません。

神占いの発表

 5時40分頃だったと思います。祢宜が神楽殿の廻縁に座ると、報道各社のビデオライトが一斉に点灯しました。占いの公表です。かつては「筆で、懐紙に記録」でしたが、今は「目録」がもらえます。それでも筆ならぬボールペン(鉛筆)で記録している人を見て、私も「古にありけむ人のように」とポケットのボールペンをまさぐりましたが、指先の余りの冷たさに、その手を再び出すことはありませんでした。

 急ぎて御やしろの下にかがまり集いて、我も我もと押し合いよりて、矢立に息しかけて、今や今よと待ちぬれば、祝、赤黒白の袂豊かに、階段(きざはし)に昇りて、柏手ハタハタと聞こえて後、ややありて、白き袂の祝、筒破りて、なりわい(作柄)の良し悪しを呼ばう。人々、手毎に束短かの筆にて、懐紙に書き付く。こは、米・麦良かりつるよ、今年は世の中よかるべし。「去年の今日の占い悪しかりと聞こえし毎に、浅間山破れて(噴火して)世の憂いとなりぬ」 この占いの尊さよ。御粥は子(夜12時)の始めより、御橋に日当たるまでに煮やし奉ることは、年毎の試しなりけるなど、声高に語るに、かんわざ(神業・神事)果てぬれば、皆帰りぬ。
「」内は『秀雄北越記本』で、世相がわかるので加えた。

割いた葦筒 神事終了後、参観者のリクエストで、割られた葦が公開されました。LCVのビデオライトのサービスもありきれいに撮れました。左右の「青白」が気になりましたが、自宅のモニター上で確認すると諏訪大社の紋が入った手拭いでした。

諏訪大社筒粥目録

 筒粥目録をいただくまでは帰れません。授与所内では準備をしているようですが、コピーにしては時間が掛かり過ぎています。6時15分頃にようやく手にした目録を見ると、何と判定が手書きです。古例に倣えば自前の紙に自分で記入すべきですから、神職の多忙さを思い感謝しました。
 授与所の横に権宮司が現れると、各社の記者が一斉に取り巻きました。「神事は終わったのに何だろう」と早く帰りたい気持ちをいさめて待つと、占いの総括というか解説でした。

筒粥目録(平成21年)

『長野日報』の16日付の朝刊では、

北林権宮司は「火のつきが悪かったこと、いつもは(釜の中で)回転する筒が回転しなかったこと、粥が水っぽかったことが気になる。全体的には気持ち上に読んでいるので、少し下だと思ってもらえばいいと思う。水不足が心配。景気はあまりよくない。冒険はせず、うし年であり、確実に一歩踏み出すように。来年の御柱祭に向けて力を蓄えて欲しい」と述べた。

とありました。確かに、なかなか火が着かなかったのを「この一年の先行きを表している」と考えると、…やはり『諏訪七不思議』でしょうか。昨夜は、市販の「火起こしセット」を購入した方が、と思ったことが恥ずかしくなりました。これで、年頭の占いをズシリと感じると同時に、この先どうなるのかという不安に包まれました。

御柱年の筒粥神事

 平成22年は、修復が終わった幣拝殿で筒粥占いがありました。去年は工事中とあって神楽殿で行われましたから、二度目となる見学は、(私にとっては)幣拝殿で行われる初めての神事となりました。
 以下の写真は、テレビ局のビデオライトの照射に便乗して、フラッシュなしで撮ったものです。“補助光”の恩恵があるとはいえ、シャッタースピードの表示は「1/4」秒です。自分でも不思議に思うほどファインダー内の像が揺れません。「諏訪明神の力添え」を思いましたが、寒さで硬直した体を原因とした方が自然でしょうか。

諏訪大社春宮幣殿 「夜空にうっすらと“赤屋根”が」と言っても、このキャプションがなければいつもの幣拝殿に見えるでしょうか。神職が壇上の「筒粥」に向かって拝礼するカットですが、白衣と赤い屋根が予想した以上に効果的に撮れていました。

筒粥神事「神占い」 ビデオライトが集中していますから、幣殿の奥まで明るく撮れました。フラッシュ使用と比べると、明るさと解像度で劣りますが、より自然に撮れていました。
 右に宮司が着座して神事を見守っています。中央の権宮司が筒を割って判定をします。それを、左の祢宜が復唱して書き留めます。指がかじかむのでしょう。時々火鉢に手を寄せていました。

筒粥神事の結果発表 祢宜が、今年の占いの結果をまとめて公表しました。菅江真澄は「白き袂の祝、筒破りて、なりわいの良し悪しを呼ばう」と書いていますから、当時は「集計した結果」をまとめて告げることはなかったのかもしれません。その分聞き漏らしがないように真剣に書き留めたのでしょう。
 現在は、実質には、報道関係者に伝え、その記事が歳時記という形に変わっています。しかし、二日通して参観すると、世の中の変化に関わりなく古来より連綿・粛々と行ってきた諏訪大社神職の姿に「諏訪大社の古さ・伝統・“凄さ”」を改めて見ることができました。

筒粥神事の総括 空が白み始める中で、権宮司から「占いの解説」がありました。今年の御柱にも触れて、「トラ年の御柱祭は荒れると聞いている。俺が俺がと前に出ることは止めて、氏子全員が一致協力してお諏訪さまを盛り立てて欲しい」と話がありました。“聞き覚えの思い出し”なので正確ではありませんが、私には「下社木落しの過熱」を指しているように聞こえました。