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諏訪大社下社と御射山社 諏訪郡下諏訪町 1.10.10

 「下社の参拝線にレイラインはあるか」と、グーグルマップを眺めました。

鷲ヶ峰・八島ヶ原湿原・御射山社

 不鮮明な画像(版画)をさらに縮小したのでゴチャゴチャしていますが、長野県立歴史館蔵『国幣中社諏訪神社下社繪圖』の一部です。

下社絵図

八島ヶ原湿原 このままでは?なので、春宮・秋宮の上部に描かれただけを元に戻しました。
 二つの池が描かれた場所は、今で言う八島ヶ原湿原です。かつてはの辺りで御射山祭が行われ、今は旧(もと)御射山社がその旧跡を留めています。
 この湿原は春宮と秋宮を挟んだ上部・鷲ヶ峰と御射山社の間に描かれていますから、両社にとって特別の存在という位置付けが伝わってきます。

諏訪大社下社と御射山社

ここでの御射山社は、元禄年間に霧ヶ峰から武居入地籍に移った御射山社の呼称です。旧地にあるのは旧御射山社として区別しています。

 『繪圖』にも描かれている御射山社と鷲ヶ峰に何らかのレイラインがあると睨み、[]で結んでみました。
 これを眺めると、「春宮−旧御射山社」と「秋宮−鷲ヶ峰」のラインが御射山社附近で交差しているように見えます。そこで、以下に紹介する大元尊碑を加えて線を引いてみました。

国常立命社祭大元尊碑 鷲ヶ峰の登り口にあり、9月27日の旧御射山祭では碑前で大元尊社祭が行われます。
 その碑は、鷲ヶ峰への登拝は困難として麓に設置した里宮とも考えられますから「鷲ヶ峰=大元尊碑」となり、「秋宮の神体山は鷲ヶ峰」という仮説が導き出せそうです。



 秋宮の境内をマイマップで拡大したのが左図です。
 これを見ると、神楽殿・幣拝殿を結んだ参拝軸に鷲ヶ峰ライン()が最も整合しているので、社殿が鷲ヶ峰に向かって建てられていることになります。
 ところが、よく見ると両社殿の縦軸が「エー」と声を挙げそうなほどズレています。

 衛星写真で確認すると、確かにズレはありますが、それほどではありません。調べると、横軸は相対的に1°のズレでした。
 この事実を初めて知ったことになりますが、確認すると、春宮も同じようにズレていました。

※ 画像©2019 Google、画像©2019 Maxar Technologies、地図データ©2019 日本

 次は、冒頭で「交差している」と考えた御射山社境内を拡大したものです。ただし、以下に登場する国常立命社は地図上には表示しないので、あくまで「推定」地です。


国常立命社祭
下社御射山祭「国常立命社祭」(24.8.27)

 まずは鷲ヶ峰ライン()です。御射山社とは外れますが、少し離れた東の尾根にある国常立命社に対応します。
 国常立命社は、『繪圖』では大元尊社とあるように「国常立命=大元尊」ですから、御射山社がこの地に移った時に、「秋宮−鷲ヶ峰」ライン上に鷲ヶ峰を遙拝する形で設置したと考えることができます。

 一方の「春宮−旧御射山社」ライン()ですが、この周辺に関連づけられるものはありません。また、春宮の参拝軸とは大きく異なっていますから、「単に春宮と旧御射山を結んだもの」という結果になりました。
 それでもこの距離での交差ですから、御射山社を里に遷す際の条件「春・秋両社との関係を維持し、池がある」場所がここであったと考えることができます。
 しかし、(見通しが利かない)山の向こうとなるレイラインに必ず付きまとうのが「測量技術が未熟な時代に、どのようにしてその場所に決めたのか」という疑問です。それが解決すれば、「秋宮の神体山は鷲ヶ峰」と声を挙げることができるのですが…。

田の神−春宮・山の神−秋宮

 諏訪大社下社は、(旧儀では)元旦に「秋宮→春宮」、7月1日には「春宮→秋宮」と半年のサイクルで遷座が行われます。ここでは紹介しませんが、多くの人が、この関係を御射山祭と絡めて解説しています。

 それはそれとして、ここでは「秋宮は鷲ヶ峰に向く」から「八島ヶ原の池塘(ちとう)に坐(いま)すのが田の神。鷲ヶ峰に坐すのが山の神」とし、その関係を里に降ろしたのが「春宮・秋宮」と捉えてみました。
 それに伴い、中世の御射山祭は、全国の氏人が諏訪神社発祥の地である八島ヶ原に会し、祀り、かつ親交を深めた行事と考えてみました。

参考までに…

 下社のラインを見て、実質は諏訪神社という小野神社()・矢彦神社()と御射山社との“関係”を挙げてみました。
 こちらは「本社−御射山社」というラインですが、以下に出る上社の御射山社と同じで「同格となる神社の各御射山社に対する方向は逆」という共通点があります。

 これが、社殿の向きから設定した上社の「御射山社−入笠湿原(または入笠山)」ラインです。
 下社の「御射山社−鷲ヶ峰」ラインとは真逆になりますから、上社が御射山社を造営する際に意図的に差別化を図ったことが窺えます。
 因みに、「御射山社−入笠山」ラインなら41°17′で、「秋宮−鷲ヶ峰」ラインの41°33′とは極近似値になります。

私は、上社の御柱・御射山・薙鎌は下社から導入したものと考えています。