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山田御社宮司神社 岡谷市長地出早 29.12.17

■ 巻の名を採って「山田御社宮司神社」と表記しました。

富士山と御社宮司神社 25.2.28

 もう四年も経ってしまいましたが、当時、葛飾北斎『富嶽三十六景』の一枚「信州諏訪湖」の写真を撮ろうと、岡谷市の山手を歩きました。

富士山 左は、駐車場とした出早雄小萩神社の前から撮った一枚です。富士山が右に寄りすぎているのがわかったので、ここから下諏訪側に歩きながらロケハンすることにしました。

 諏訪湖が俯瞰できる場所を求めて上の原小学校から山手の道を選ぶと、大型の建造物があります。養護老人ホーム「洗心荘」とわかったその取り付け道路を借りて、その背後から富士山を眺めました。しかし、「まだまだ」という構図に諦めながら左方に目をやると、神社らしきものがあります。

御社宮司社本殿 近づくと、鳥居と御柱があります。社殿の規模から、巻の祝神と見ました。
 格子戸から覗くと、質素な本殿があります。写真に収めたところで周囲を眺めると、鳥井脇に石碑があり、「御社宮司神社」とわかりました。岡谷市は「ミシャグジ」と判明している神社が少ないので、ありがたく“御拾いもの”とさせて頂きました。

御社宮司社碑 碑の裏に、「御社宮司社は遠の神代より鎮座の事蹟、神官武居家所蔵神名帳に依て明なり、其後延元二丁丑年山田甚五郎と小萩祝武居佐馬之介豊後等と相図りて再興す、爾来田畑山林を神領に献納し子孫連綿として祭礼を奉祀す、昭和十七年五月五日」とあり、下部に、神社総代として山田姓三名の名があります。
 「延元二年(1337)」では、私の常識では古すぎる(詐称の)ように思えます。しかし、小萩祝と山田甚五郎の名を挙げているので、古記録が残っているのでしょう。巻の祝神としては究めて珍しい事例と言えます。

山田巻御社宮司神社

 引き上げる時に林の中から撮った一枚が、鳥居がシルエットとなってベスト版に輝きました。