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事代主命社祭 10月20日 (20.10.20)

 今日「事代主命社祭」があるのはわかっていました。問題は開始時間です。「電話のない家(時代)に育った」というのは理由になりませんが、私は大の電話嫌いです。そのため、利器を使った問い合わせを先延ばしにしてきた結果が「今朝」となってしまいました。社地は本宮に近いので、早めに出かけて諏訪大社境内の祭事案内を見ることにしました。
 ところが、二枚掛かった案内板には「事代主社祭」がありません。社務所で“直接訊くと”「9時」でした。充分間に合う時間ですが、つい駐車場まで走ってしまいました。

 事代主命社は、私が「武居畑」と呼んでいる台地上に鎮座しています。その前をいったん通り過ぎ、駐車場にした山際の空き地から(急坂なので)トコトコと下りました。見下ろすと、水の便がないので全て畑という台地上に、通勤ならぬ通耕車が3台ばかり見え隠れしています。どのような経緯(歴史)でここの農地を得たのかわかりませんが、カメラを抱える私とは別世界の中で秋の手入れにいそしんでいます。
 祠の左右にある柿の木が、色づいた実を垂れ下がらせていました。朝方は放射冷却でかなり冷えたので、「小春日和と言うには二ヶ月早いよ」という季節ですが、隠れ里のようなこの辺りの穏やかさに早々にそれを思ってしまいました。

事代主社祭 諏訪大社の神職二人と、参列者が地元神宮寺の区長だけという神事が始まりました。見守るのは、大社委嘱のカメラマンと私の二人です。いつもの通り、修祓から始まり拝礼で終わる質素な神事でした。直会というと大げさですが、カワラケで御神酒を頂きました。参列者が少ないこともありますが、私にまで気を配っていただいたので気分をよくしました。
 祠の背後にドウダンツツジの生け垣があります。神職の「去年は真っ赤でした」に応えて、「今年は紅葉が早いと言うが…」と声が挙がりました。神事は20日と固定していますから、さて去年の秋はどうだったのだろう、と思い返しても具体的な「秋」は浮かびませんでした。

事代主社祭 話は戻りますが、神事前の挨拶(雑談)で、神職が「区長」と声を掛けるのを聞きました。総代は欠席ということなので、該当するのは目の前の一人しかいません。「高部の区長ですか」とその男性に声をかけてみました。ところが、…「神宮寺の区長」でした。私は、「事代主命社は高部(区)」とばかり思っていましたから、照れ隠しで「ここは神宮寺になるんですかー」と大げさに反応するしかありませんでした。
 「西沢川から神宮寺」というのはわかっていましたが、事代主社に関する限りは茅野市高部と思い込んでいました。もっとも、すぐ下を流れる川を跨げば茅野市ですから、両市の市民ではない私にはどちらでも良い行政区画です。

事代主命と「えびす」

 祭事の規模はともかく、諏訪明神以前の土着の神を祀る神事が今に続いているのが不思議です。祭神は「事代主命」となっていますが、十三神名帳では「武居會美酒」とあります。事代主命と同神と言われる「えびす」です。地元では、諏訪明神に従った先住民の長「武居の長者」を祭ったのが「事代主命社」という話があります。また、下諏訪にも「武居恵比須社」が鎮座しています。
 一方、兵庫県の(福男レースで有名な)西宮神社の摂社に「百太夫神社」があります。例祭で舞われる「えびす舞」の台詞ですが、見たことも聞いたこともないので、大江時夫著「武居エビスの謎」から書き写しました。

「さて御目出たき戎(えびす)殿の生まれ月日をいつぞと問えば、福徳元年正月三日寅の一天(刻)まだう(卯)の刻になるやならずに信州信濃の武居が宮にてやすやす(安々)とお誕生なされたなされた」

 これには、恵比寿様は「長野県の武居神社」で生まれたとあります。「武居」が「竹井」になるなど、人形浄瑠璃や門付の台詞などと微妙に異なりますが「武居」で間違いないでしょう。長野県といっても各地に「武居」がありますが、諏訪大社上社の氏子とすれば、ここの「事代主命社」を強く推薦するしかありません。