諏訪神社上社が隆盛を極めていた頃に書かれた文献から、「蛙(蟇)狩」に関した部分を抜粋して紹介します。
まずは、『諏方大明神画詞』にある「正月一日」の一部です。
次に、『年内神事次第旧記』から、蛙狩の部分を紹介します。
代わって、『諏訪上社物忌令之事(神長本)』にある〔七石之事〕から、御座石を説明した部分です。天下を乱したという蝦蟆神の記述があります。
文政2年(1819)発刊の、乾水坊素雪著『信濃国昔姿』に載る〔一、勅使殿〕から抜粋しました。
蛙狩り神事で用いられたカエルが、重病人に効く薬として使われたことがわかります。あまりにも“ありがたいもの”なので、排便はトイレではなく(いわゆる)野糞で済ませろ、ということでしょう。
諏訪大社関連の本では、「蛙狩神事は時代で大きな違いがある」として多くの事例を挙げて解説しています。しかし、それらをすべて紹介するのは不可能なので、古文献の中から幾つかを紹介するだけに止(とど)めました。
歳旦祭終了後、神職と諏訪大社大総代の一行は、宝殿と摂末社遙拝所で拝礼を済ませてから御手洗川へ向かい「蛙狩神事」を行います。この神事は「諏訪七不思議」の一つに数えられ、「当日は必ずカエルが見つかる」とされています。
使丁役の二人は、鍬で川底を浚いながら徐々に上流へ移動します。何回か指先が落葉混じりの土砂に延びた後、今年も言い伝え通りに捕えることができました。
布橋を、先導役の神職の後に、贄を載せた三方を捧げ持った神職が続きます。一行は四脚門から幣拝殿へ戻ります。
壇上で、カエルは篠竹の矢で射抜かれ、初贄として神前へ捧げられます。
ただし、拝所からは、望遠で撮った写真でも神職の背中越しに小弓が見えるだけで、詳細はわかりません。
案に置かれた初贄(◯)を前に、宮司が祝詞を奏上します。諏訪市史編纂委員会『諏訪史中巻』では、「例のまにまに蛙狩の神事仕えまつりて大贄に仕えまつり…」と祝詞の一部を紹介しています。
今年は非公開で行われました。今後はこの流れで続くと思われます。
蛙狩神事の本義については諸説ありますが、私は、そのどれにも頷いてしまいます。しかし、それではこのサイトの“独自性”が失われますから、自由な発想で考えて(こじつけて)みました。
蛙狩りは、前宮ではなく本宮で行われる神事です。また、贄に(シカではなく)カエルを使うことから、ミシャグジの祭祀ではないことが明らかです。その内容も(ミシャグジが憑依した)神使が貢ぎ物を大祝に捧げるというものですから、言わば「洩矢神が、建御名方命に忠誠を誓う」ことを儀礼化したものと言えます。
贄(貢ぎ物)にカエルを選んだのは、その昔から「ヘビの好物はカエル」という認識があり、真冬でも捕獲が容易ということにあったのでしょう。洩矢神の後裔である神長官にとっては屈辱モノの神事となりますが、ミシャグジの本拠地である前宮から離れた本宮で行われますから、「まー、いいか」と受け入れた彼の心内を想像してみました。
七不思議の一つ「蛙狩り」は、「いかなる年でも必ずカエルを捕らえることができる」というものです。これは、「カエルが、自ら贄になることを望んで現れる」ということですから、古(いにしえ)の洩矢神と建御名方命の関係にも通じます。
小岩高右衛門著『諏方かのこ』から、〔一、七不思議〕の「元旦蛙猟」を転載しました。
「季節外れの洪水で河床が流されたが、カエルが、捕らえられるのを待っていたかのように座っていた」というものです。