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御社宮司降祭 岡谷市小井川 21.2.22

 今日、御社宮司降祭(みしゃぐうじおろしさい)があるのは知っていました。しかし、毎年替わる「御頭郷」の祭事ですから、会場はどこか・何時に開始なのかまではわかりません。朝、新聞に目を通すと「2時から平成会館」とあります。ところが、今年の御頭郷である「旧岡谷市」は私には漠然とし過ぎて見当も付きません。
 ここで、慌てず騒がずネットで検索です。便利な世の中になりました。地図入りで表示しました。ついでに、駐車場難を予想して、一番近いスーパーの場所も確認しました。
 次は「境締め神事」の場所です。同じ地図で、「御頭郷の境」となりそうな場所を探しました。四ヶ所で行われますが、私には、祭場から徒歩(または駆け足)で行ける範囲内が条件です。平成会館の近く・幹線道路・(多分)川、と勝手にキーワードを設定して地図をスクロールしました。私も利用する市内から長地(おさち)へ抜ける道があります。桜の名所「横河川」もあります。ここしかない、と交差した橋の袂を(勝手に)「境」としました。

平成会館 小井川「ダルマ堂」に接して「平成会館」がありました。開始まで30分あるので、「その時」に慌てないようにと「境」を偵察することにしました。予想通り、その場所にはすでに青竹が組まれていました。早めに抜け出せば間に合う距離でした。
 私には、御社宮司降祭の「祭主」が、「諏訪大社」なのか「御頭御社宮司社」なのか理解していません。神事の内容から、御社宮司社は現在“機能”していませんから、やはり「御頭郷」が祭主になるのでしょうか。いずれにしても、目の前で「仕切っている」(諏訪大社大総代兼務の)御頭郷大総代を責任者と見て、彼に「写真を撮りたい」と断ってから、手水で手と口を浄めている列の最後尾に着きました。そのまま入館しても良いのですが、“郷外”から来た者としては、浄めの“手続き”を踏みました。

御頭郷「御社宮司降祭」

 ステージに祭壇が作られていました。高い位置なので撮影には便利です。中央の大きな幣帛が、今は御頭御社宮司社がありませんから、秋の「御社宮司昇祭」までこの平成会館に奉安されるのでしょう。左右4本の幣帛が、その数から境締め用であることがわかります。また、左右のササは、「ミシャグジは笹に付ける」“故事”から、象徴として飾られているのでしょう。
 諏訪大社宮司と権宮司が右側、左に祢宜・権祢宜などの神職と御頭郷内にある神社の宮司が着座しました。

「降神の儀」御社宮司降祭 御社宮司降祭は御頭郷の宮司による修祓から始まりました。お祓いの後で諏訪大社宮司が昇壇します。「こうじんの儀」に、私は「荒神」しか浮かばなかったのでカメラを構えていたら、「お頭(かしら)をお下げ下さい」の声が…。慌ててカメラと頭を下げると、宮司が「オー」と警蹕(けいひつ)を発しました。これが「御社宮司降ろし」と気がつき、「荒神」が「降神」と理解できました。これで、現在は、諏訪大社の宮司が「御社宮司神」を大幣帛に「降ろす」ことで、神長官の「御左口付」を世襲していることがわかりました。

「宮司拝礼」御社宮司降祭 左写真は、玉串奉奠をしている「御頭郷の宮司」です。女性を含む左の宮司二人は、習焼神社や御座石神社の例祭で見ています。しかし、他の二人は、私には初めて見る顔でした。「旧岡谷市内」は「下社圏」に入りますから、私には馴染みがないということでしょう。続いて関係者の玉串奉奠です。御頭郷が奉仕する最大の祭事は、下社の「遷座祭」です。そのため、警備を担当する消防団代表のハッピ姿が見られるのもこの神事の特徴でしょうか。
 権宮司による撤饌が終わると、境締めの会場が気になります。私は徒歩ですから、早めの行動が必至です。あわてて、玄関でスリッパを大きく飛ばしてしまいました。

 翌朝の新聞では、区役員や大総代・氏子ら約八十人が参列、と報じていました。この後行われた「境締神事」は、メニュー「御頭郷境締」の最下段で見ることができます。