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押立御狩神事 5月2日 (21.5.2)

 「押立御狩」は年四回ある「御狩」の一つで、「五月会御頭」に使う“贄を捕る儀式”と言われています。中世の頃は盛大に行われ、5月6日には流鏑馬も行われました。『諏方大明神画詞』を読むと、そのきらびやかさには圧倒されます。

 五月二日、御狩押立進発、行列常の如し、宮川の高橋を渡って前行旗二流(※本)左梶葉・右白、雅楽(がこう)黄衣に行騰(むかばき)をは(履)きて是をさす、次に五官布衣浄衣六神使(※6人のおこう)赤衣以上下(げろう)を先とす、次に引馬数十疋(匹)此を引く、次に大祝梶葉藍摺(あいずり)・鷹羽・箆(の)矢・菅笠・同行騰、垂迹の行粧(ぎょうそう)を表すなり後騎氏人水干・折烏帽子・狩装束歩行の僮僕(どうぼく※年少の神官)済々(せいせい※多くて盛んな様)也、力者二人を相具して柄長(えなが)の杓(ひさご)(※ヒシャク)(ならび)に引目(蟇目)をも(持)たしむ、中間(ちゅうげん)雑色(ぞうしき※下級役人)数多し、酒室の社(※酒室神社)前に至る、此所にして三頭(※左頭・右頭・流鏑馬頭)対面の礼をなす、其の後長峯山に登る、其の勢い相列なれり、又狩集会(かりつどえ)大柏木にして宇津保(うつぼ)(靫※矢を入れる筒)に改めて、二流の旗を守りて、左右に相分かれて、夏野の草の中にして、所々に狩人散乱す、臺弖良(だいでら)山にて鹿を出して面々是を射る、四日に至るまで三ヶ日の儀式なり、其の間、或いは宅に帰り或いは山に留まりて狩猟をいたす、さしも堪能の輩数百騎に及ぶと云えども、矢に当たる鹿両(二)三にすぎず、諏方野の鹿にあな(穴)ありと云う古老の詞あり、業深く有情(うじょう)の本誓(ほんぜい※本願)によれるにや、尤も貴ぶべし、
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第一巻』

 武井正弘著『年内神事次第旧記』の補注〔押立〕から抜粋しました。

 三日間に渡って催される模擬狩猟で、実際の獲物は鹿三疋のみ。狩りに先立つ酒室社での式で五月会頭を勤める左・右・流鏑馬の三頭が対面し、先例に習って各頭で一疋ずつ射止めることに決められていたからである。他は鏑矢を射て追うだけであったとみられる。このため鹿狩を模した軍陣の式ともいうが、本来は神代の事績を準えた御贄狩り─象徴儀礼─と解すべきである。

諏訪大社の「押立御狩神事」

 「御頭祭」から二週間経ちました。5月に入ってまだ間もない上社本宮では、幣拝殿の上からのぞく木々はまだ今年の葉を展開中で、冬姿を隠し切れていません。

押立御狩神事

 今日の「押立御狩神事」は、いつもは左片拝殿に詰めている諏訪大社大総代の姿はありません。宮司以下5人の神職と3人の諏訪大社伶人(楽人)による“内輪”の神事、と言ったところでしょうか。
 神事に“馴れていない”大総代がいないためか、(神事式次第の)司会の声もありません。私には、それぞれの役割は違っても、すべてを承知している者だけが成せる流れるような一体感を感じました。
 10時に始まった押立御狩神事は、摂末社遙拝所と大国主命社の拝礼を含めても30分間で終わりました。