以前、通勤路脇に、幣帛(へいはく)が付いた笹の一群があることに気がついていました。地鎮祭用にしては余りにも狭い敷地に、何か物置でもと思っていました。その後いつの間にか消え、いったい何だったのかと不思議に思っていました。
その後、本で似た写真を見つけ「御頭郷境締」であったことがわかりました。そういえばその場所は原村と茅野市の境なので、なるほどと納得しました。
今年の御頭郷が岡谷市の湊と川岸であることを頭に置いて、今は「新川バイパス」を通勤路としているので、久しぶりとなる通称「西街道」を通ってみました。その「西街道」が諏訪湖端に出る直前にある飲食店「石船渡」の駐車場脇に、その境締を見つけました。
標識で分かるように、ここから岡谷市という地です。たまたま出てきた女性に、「境締の写真を撮りたい」と駐車の許可を願うと、市境に適当なスペースがないので10メートルほど離れた駐車場脇に作られた、と話してくれました。かつての村境に精進潔斎のための結界を作る、と本では解説していますが、疫病や災いが進入しないようにという意味もありそうです。これは四方に立てられるそうですが残りの三カ所は未確認です。知らなければ意識に残ることはないこの手の造作物ですが、現在でも続いていることに驚きました。
今年の御頭郷は、茅野市玉川、豊平、泉野です。すぐに、が八ヶ岳山麓を縦横に走り回っても見つかりません。地区名は知っていてもその境がどこに当たるのかが分かりませんから、車で走りながらの探索では見落としの可能性が大です。
完全に帰りモードに切り替わり、原村への信号を左折すると、…ありました。田圃の畦に。初めから狙っていた「残雪の八ヶ岳をバックに境締」がものの見事に現れました。この地は風が強いのか、御幣を囲む笹が傾いています。土手にはフキノトウが、まさに薹(とう)が立った状態で過ぎゆく早春の風に揺れていました。
いつものパターンで、28日の「野出神事」まで何もないと思いつつも長野日報「くらしのガイド」欄をチェックしました。ところが、さすが地元紙!「御社宮司神降し祭」と「境じめ神事」があることを伝えています。「2時から宮川コミュニティセンター他」とありますから、同時刻に四ヶ所で同じ神事が行われることが分かります。この神事は、先月「御頭御占之神事」や「御頭受」の後に速やかに行われたと思っていましたから、2月の末という今日に、「エッ、まだだったの」という思いでした
原村は朝から10センチの積雪でした。雪のなかった岡谷市への用事を済ませてから遅い昼食を食べ終わると1時半です。コミュニティセンターなら知っていますから、御社宮司神降ろしの神事が見学できます。まだ間に合うと思いつつもこの強い雨と風です。グズグズしている内に長針が上を向いてしまいました。
話は戻りますが、原村から諏訪湖を挟んだ岡谷市へ行くには茅野市を通ります。その茅野市「丸山」の手前、と思われる道路端に車が数台止まっていました。近づくと、橋のたもとに小さなテントが張られ数人の人影が見えます。助手席に座っている余裕で注視すると「笹の束」が見えました。初めは、ここが村(市)境という認識はありませんでしたがピンときました。「境締め」でした。ここなら近いし、周囲は田んぼなので駐車場探しの心配も不要です。境締めの神事だけなら今からでも見られる、と身を奮い立たせるように雪空の下に立ちました。
何時から始まるのか分かりません。ただ待つのみです。傘の縫い目を通すほどの大雨の中、緑色のハッピを羽織った氏子が三々五々集まってきました。
今年の御頭郷は茅野・宮川です。ここは茅野(市)「丸山」ですから、ハッピに「丸山」の文字が見えます。防風用のシートで見えませんが、右側は切り落ち川になっています。当然ながら橋があり、それが茅野市と原村の境になり標識もあります。今年一年は、原村から災いなどが入ってこないように、という締めですが、原村の住人とすれば何か複雑な思いがします。
黒塗りの乗用車が止まり、諏訪大社の柳沢権禰宜が降り立ちました。御幣を4本の笹の中心にセットしてから、三方の上に神饌を置きます。いよいよ、とカメラの電源を入れスタンバイしました。
地元ケーブルTV局やマイビデオを向ける氏子の背後から、この天気では50から60分の1というシャッタースピードと吹き込む雨を気にしながら何枚か撮りました。
お祓いの後、「大祓」と思われる祝詞を奏上し、氏子総代などが玉串を奉奠するともう神事は終わりです。御神酒を参会者に振る舞うまで残っていましたが、長靴の薄いゴムを通して雪解け水の冷たさがジンジンと侵入してきます。
神職が帰るのを見計らったかのように雨が横殴りになりました。車を駐めた脇道に向かいますが、風上に向けたワンタッチ傘が強風の余りすぼんでしまいました。雨に打たれながらカッパを脱ぎ傘を収納します。雨風から守られたシートに座りやや落ち着くと、ズボンの風上側だった半分がしっかり濡れ色が変わっているのに気が付きました。かじかんだ手でエンジンを掛けて確認すると、外気温は2度でした。取りあえずホッとしていると、いつの間にか小雨になっているのに気が付きました。
今日は、雪のち大雨風という大変な日でした。晴れていれば八ヶ岳をバックに撮れたのですが、初めてこの境締め神事を見られただけでもラッキーと言わなければならないでしょう。
諏訪大社のお膝元「神宮寺」の境締めです。茅野市境にあたる西沢川の橋の袂に作られました。
御頭祭の神輿をバックに撮ってみました。二ヶ月経って葉はすっかり枯れましたが、幣帛はまだ白さを残していました。
茅野市の御座石神社宮司と知っていますから、この地にも兼任している神社があるのでしょう。その宮司がこの境の担当でした。
下り坂の天気とあって、曇り空ですが気温が高めで強い風もさほど気になりません。神事は粛々と進み、私も四方八方から“パチパチ”と写真を撮ることができました。横川の向こうが、御頭郷の「旧岡谷市」になります。
翌朝の新聞では「長地、川岸、湊、塩尻との境界点で境じめ神事を行った」とありました。写真の川が小井川と長地の境になります。
今年は「原村」と富士見町の「二地区」です。この前を何回も通っていますが、ようやく写真に収めることができました。
写真には一部しか写っていませんが、S字+ヘアピン+急坂の道です。時々、ドリフトしたタイヤ痕が残っています。下部のコーナーは暗渠になっているので橋を意識することはありませんが、川が茅野市との境になっています。
標識に「原村」とあるように、茅野市金沢から原村へ向かう市村境にあります。上の写真と“対”になる場所なので、林を透かして見える坂道の左端辺りが、去年原村が設置した境締めがあった場所になります。
毎年の境締めを紹介しているわけではありませんが、私が初めて境締めを“意識”したのがこの場所です。御頭郷のローテーションが10年なので、初めて見た日から10年を経過したことになります。記念として載せました。
このページの前・後半では“時代差”があるため、「境締・境締め」と「ゆらぎ」があります。本では「境締」ですが、新聞や「諏訪大社祭事表(諏訪大社公式HP)」では「境じめ」と表記しています。