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『社例記』で読む御頭祭 24.2.13

 御頭祭の様子を書き留めた文献は、中世以降の各時代に見られます。その記述を読んで神事の内容を知るわけですが、余りの奇祭に「どこまで信用していいのか」という疑問が常につきまといます。その中で「かなり正確ではないか」というのが、延宝七年(1679)の奥書がある『社例記』です。というのも、「解題」に「幕府よりの命に依り書上げたるものの控えにして…松平山城守の宛名あり…」とあるからです。言わば、国に提出した諏訪神社上社の“内部調査報告書”ですから、多少の“粉飾”はあっても信用できるかと思います。

「是謂御頭祭(これ、おんとうさいという)

 『社例記』にある「御頭祭」に関する部分を、諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第一巻』から抜粋して転載しました。古文に強いという方はそのまま読んでも構いませんが、原文が誤植などで間違っている場合があります。また、「水準外の漢字」が混在しているので、パソコンの環境によっては文字化けする場合があります。

本社二十町辰巳前宮十間廊、毎年三月酉日於上段八方挑燈、掛燈籠一百余、神主大祝著山鳩色狩衣立烏帽子、夏毛皮褥敷上段南面。五官祝者著狩衣風折烏帽子左座。小出氏織部佑著狩衣風折烏帽子介錯。宮嶋大夫役根曲御劔右座。矢嶋花岡其外神人連袖以突飯・高盛之御供大祝。猪鹿頭七十余、其外掛魚鳥。大祝・五官・神司向饗膳玄酒三献大祝。自頭主馬・鞍・太刀・腹巻・弓胡・沓・行騰大祝。於廻廊上段葦、以小童神使、著赤衣立烏帽子、曳二丈五尺之裾、五官祝榊八矛矢一手以葛纒御杖、神使取之捧上段。禰宜大夫開藍箱、大祝詞。設庭燎於上二四維、神使葛手纏取宝鈴肩、牽立馬於庭前之。于時以柏葉盃、酌酴醿神使。有奉幣。神使供奉之面々逆巡社三回。大祝・五官祝拍柏手、参詣緇素准之有御手祓(中略) 是謂御頭祭

 パスした方は「私の書き下し文」を読んでください。ただし、「行きつ戻りつ」の古文なので、多少の間違いには目をつぶってください。

 本社より二十町隔て辰巳に当たり前宮十間廊有り。毎年三月酉日上段八方に於いて挑燈(提灯)・燈籠一百余を掛け、神主大祝山鳩色の狩衣(かりぎぬ)立烏帽子(たてえぼし)を着、夏毛皮の褥(なつけがわのしとね※鹿皮)を上段に敷き南面に座る。
 五官祝は狩衣風折(かざおり)烏帽子を着て左座に着く。小出氏織部佑(おりべのすけ※官名)狩衣風折烏帽子を着て介錯を為す。宮嶋大夫根曲御劔役右座に列す。矢嶋・花岡(※両奉行)其外神人は突飯(とっぱん)・高盛の御供を以て袖を連ね大祝に備う。
 猪鹿頭七十余、其外魚鳥を掛ける。大祝・五官・神司饗膳に向かい、大祝に玄酒(げんしゅ※水)三献を(むく)いる。頭主(※高島藩主)より馬・鞍・太刀・腹巻・弓胡(ゆみやなぐい※武具)・沓・行騰(むかばき)を以て大祝に献ず。
 廻廊上段に於いて葦を敷く。小童を以て神使(おこう)と号す、赤衣立烏帽子着て二丈五尺の裾を曳く。五官祝榊八矛(やほこ)矢一手葛を以て御杖に纒(まと)め、神使之を取り上段に捧ぐ。
 祢宜大夫藍箱を開く。大祝詞(おおのっと※大宣)。四維(しい※四方)に於いて庭燎(※かがり火)を設け、神使葛手で纏(まと)めた宝鈴を取り肩に掛ける。庭前に於いて立馬を牽き之に乗る。
 于時(ときに)柏葉を以て盃と為し神使に於て酴醿(とび※二度発酵させた酒)を酌む。奉幣有り。神使供奉(ぐぶ)の面々逆に三回社を巡る。
 大祝・五官祝柏手を拍く、参詣の緇素(しそ※僧俗)之を准(なぞ)らえ御手祓有り、(中略) 是御頭祭と謂う。
「頭首」は小坂村の祭礼責任者を指すが、献上品の内容
から高島藩主とした。「郡主」の間違いかもしれない。

 他の文献に見られる内容と基本的には同じですが、意外と知られていないものを挙げてみました。

 この文献に限りませんが、私がいつも思うのは「鹿頭を含む大量の贄をどこに置いたのか」という疑問です。ここでは「掛ける」という表現なので、混雑して「袖が連なる」状況では、十間廊の外に専用の贄掛け場を設置したとしか考えられません。

菅江真澄が見た「御杖柱」

御頭祭の「御杖柱」 天明4年(1784)に菅江真澄が見聞した御頭祭では、御杖は「ヒノキの角柱」として書かれています。『社例記』では「榊の杖」ですから、この百年の間に、現在見る御杖柱に変わったことになります。
 神使の廻湛はすでに廃れているので、携帯性に勝れた(取り回しの楽な)の形状は必要ありません。何が契機となったのかはわかりませんが、御頭祭のシンボルとしての見栄えがする大型の御杖を考案したのでしょう。

 『社例記』には“その後”が書いてありませんから、十間廊での神事で御頭祭のすべてが終わったように思えます。菅江真澄が聞き取ったように、神使も同時に“解職”された時代であったのかもしれません。