去年の12月に西宝殿の地鎮祭があり、今年の御柱山出しと里曳きの狭間に上棟祭がありました。本に「宝殿竣工祭と宝殿清祓式を、遷宮祭前日に行なう」とあったので、まだ先のことと安心していました。そこに、「明日3時から竣工祭がある」という情報を頂きました。
布橋への入口はすべて注連縄が張られ通行禁止です。「通常の神事とは違う」ことに気がついたので社務所に向かいました。幸いにも撮影許可を頂き、すでに待機していたLCVと大社“専属”カメラマンに合流しました。
布橋は目で見る以上に暗いのがわかっているので、明るいレンズのカメラも用意しました。コンパクトカメラながらワイド側開放でF1.4というものです。ところが、ザックをまさぐると手に触れません。バッテリーを充電した際に置き忘れてきたことに気がつきました。試しにメインのカメラで確認すると、日が陰ったこともありAUTO(最大感度400)で「1/8秒」です。
常々、フラッシュを使った神事の撮影を気にしていたので、主に報道関係者が光らせるのを待って、「それなら私も」で済ませてきました。今日はその基準となる報道陣がいないので、神職にフラッシュ使用の可否を尋ねました。「LCVのライトだけで(フラッシュは遠慮して)」と言うので、LCVのカメラマンに照明の段取りを聞いてみました。今回はビデオライト不使用で臨むと言うので、私もそれに倣うことにしました。
神職と諏訪大社大総代の行列は、神楽殿前の石段から上がってきました。右側の、扉が開いている西宝殿前の定位置についたのは、背を向けている神職が右から宮司・権宮司で、左の二列は諏訪大社大総代と来賓です。
神饌案の中央奥に地鎮祭と同じ「ソヨゴの幣帛」があり、「降神・昇神の儀」がありました。祝詞の内容が聞き取れないので「竣工祭に関わる神々」としましたが、私は、どうしてもミシャグジを降ろして昇げているように見てしまいます。
左は宝殿の「清祓」です。宮司が宝殿前を切麻で祓いました。玉串奉奠は、宮司の他、施工者の笠原工務所・宮大工・御用材を奉納した「池田木材」の三人と諏訪大社大総代の代表二人が行いました。
何しろ、6年に一回の「式年造営」に関連した厳粛な神事です。布橋は板敷とあって、音を立てないように、撮影の移動は抜き足差し足で気を遣いました。退下は、西宝殿前から布橋を通って塀重門という逆コースでした。布橋の端に寄り、頭を下げて、撮影できたことを感謝しながら見送りました。
宝殿内の「穂無しカヤの網代」を撮りたかったのですが、遷座前とは言え、諏訪大社の本殿とも言える宝殿です。斜めから全景を撮るだけに留めました。