平成18年の記録です。神職に続いて斉庭(ゆにわ)に入った諏訪大社大総代が片拝殿に着座しました。「いよいよ」とカメラを取り出すと、新たにダーク系の集団が現れ、幣拝殿の前を埋め始めました。各地の氏子総代の人々でしょうか。
田に見立てたゴザの四隅と中央で、祭員がそれぞれの農具で同じ所作を繰り返します。最後は種籾を蒔いて退場しました。
「田起こし儀礼」と言われるそうですが、現在でも使われる農具だけに直感的でよく分かりました。
神事に差し障りがない程度にカメラを向けました。ところが、このような場では、デジカメ特有のピント合致やシャッターなどの電子音が気になります。
手持ちのカメラは年末に買ったばかりなので初期設定のままです。「これはまずい」と、音を消すメニューを呼び出しますが、その一つ一つの操作でも「ピッ」と鳴ってしまいます。もう、諦めました。
笏拍子と笛の音が流れ、それに田植唄が加わりました。巫女さんが苗に見立てた杉の葉で田植えの所作をします。薄日がわずかにこぼれるだけの斉庭は寒々しいのですが、白い衣に唯一の暖色系である緋袴緋襷が映えます。
悠長な舞いに合わせて神職全員の“斉唱”が続きます。その姿に、(全くの想像ですが)一室で真面目に練習しているシーンが浮かびました。職業柄近づきがたい印象を持っていますが、この時はグッと身近な存在に思えました。終わってみれば、初めての見学なので撮影に気をとられ、唄の内容や舞いをじっくり“鑑賞”することができませんでした。「田舞」は、6月の「御田植祭」で奉納される「田舞」と同一でした。
諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』から二つの書を紹介します。文政二年(1819)の乾水坊素雪の『信濃国昔姿』から「高神子屋」です。
明治期に書かれた、岩本尚賢稿『上社年内祭祀の大畧』から「正月十五日」を転載しました。
上社本宮では、途絶えた筒粥神事に代わるものとして「五穀豊穣を祈る田遊神事」を“編み出した”と思われます。両書の内容から、現在の神事とは大きく異なっていることがわかります。
上社の「占い」が廃れたのは、下社に比べて「当たらなかった」のが原因でしょうか。