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田遊神事 1月15日

 平成18年の記録です。神職に続いて斉庭(ゆにわ)に入った諏訪大社大総代が片拝殿に着座しました。「いよいよ」とカメラを取り出すと、新たにダーク系の集団が現れ、幣拝殿の前を埋め始めました。各地の氏子総代の人々でしょうか。

田遊神事

田遊び
鋤(スキ)space鍬(クワ) 

 田に見立てたゴザの四隅と中央で、祭員がそれぞれの農具で同じ所作を繰り返します。最後は種籾を蒔いて退場しました。
 「田起こし儀礼」と言われるそうですが、現在でも使われる農具だけに直感的でよく分かりました。

田遊び
馬鍬(マングワ)space籾蒔き 

 神事に差し障りがない程度にカメラを向けました。ところが、このような場では、デジカメ特有のピント合致やシャッターなどの電子音が気になります。
 手持ちのカメラは年末に買ったばかりなので初期設定のままです。「これはまずい」と、音を消すメニューを呼び出しますが、その一つ一つの操作でも「ピッ」と鳴ってしまいます。もう、諦めました。

田舞

田遊び 笏拍子と笛の音が流れ、それに田植唄が加わりました。巫女さんが苗に見立てた杉の葉で田植えの所作をします。薄日がわずかにこぼれるだけの斉庭は寒々しいのですが、白い衣に唯一の暖色系である緋袴緋襷が映えます。

 悠長な舞いに合わせて神職全員の“斉唱”が続きます。その姿に、(全くの想像ですが)一室で真面目に練習しているシーンが浮かびました。職業柄近づきがたい印象を持っていますが、この時はグッと身近な存在に思えました。終わってみれば、初めての見学なので撮影に気をとられ、唄の内容や舞いをじっくり“鑑賞”することができませんでした。「田舞」は、6月の「御田植祭」で奉納される「田舞」と同一でした。

 諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』から二つの書を紹介します。文政二年(1819)の乾水坊素雪の『信濃国昔姿』から「高神子屋」です。

毎年正月十五日の夜田植の神事有り、是は年内耕作の所作をし五穀豊穣を祈る神事なり、神楽座の社人勤行す、此夜は諸人貴賤群集し夜四つ頃神事終るなり、

 明治期に書かれた、岩本尚賢稿『上社年内祭祀の大畧』から「正月十五日」を転載しました。

田遊神事あり、此日は高神子屋という処に執行す、夜に入り神殿以下燈火を捧げて此祭事を行う、まず楽人鍬の柄を採り田土を起こし耕す状をなすうた(歌)あり畧す、楽人一名婦人の粧をなし振袖を着し綿を被り櫃へ鏡餅を入れ献備す、楽人一名麻布二丈を以て頭を包み背を被い藁(ワラ)にて角を生やせし牛の形に作り成し、一名牧者となり牽出して田をふ(踏)み耕さしむるの状をなし、又五葉の松葉を蒔き散らし種をおろすさまをなす、是古の例に依りて執行す、

 上社本宮では、途絶えた筒粥神事に代わるものとして「五穀豊穣を祈る田遊神事」を“編み出した”と思われます。両書の内容から、現在の神事とは大きく異なっていることがわかります。
 上社の「占い」が廃れたのは、下社に比べて「当たらなかった」のが原因でしょうか。