諏訪大社と諏訪神社トップ / 諏訪神社メニュー /

馬籠諏訪神社 岐阜県中津川市馬籠荒町 20.8.7

 「荒町にある諏訪神社」として来たので、いきなり現れた観光地の“中枢部”に戸惑いました。その標識は道中に幾つもあったのですが、その「馬籠」に諏訪神社があるとは知りませんでした。様子見で、タイミングよく現れた駐車場に乗り入れました。右手の、山に続いているように見える坂道の両側が馬籠宿でしょう。軽やかに着飾った観光客は、まだ目的地に達していない私の時計とは別時間のようにゆっくり動いているように見えました。
 GPSの指示通り「馬籠」横を、歩行者を避けながら左折しました。かなり狭いうえにすれ違いが難しい箇所があります。駐車場へ戻って徒歩で出直そうと決めましたが、すでに諏訪神社の前でした。
 とても路上駐車ができるような状態ではありません。直後を右折すると余裕幅の農道です。さらに右折して、諏訪神社と並行する田圃の中の一本道を駐車場所と決めました。
 一軒家の前におばあさんが座り込んでいます。通り過ぎてから、話のきっかけにしようと「諏訪神社はどこ」と尋ねてみました。ところが耳が遠く期待した話が聞き出せません。しかし、雨戸が閉まった建物が「荒町2区集会所」であることは確認できました。その前後だけが道幅がやや広くさらに木陰になっています。これ以上の“路上駐車場”は、有料であっても望めないでしょう。しかし、おばあさんの目の前に駐めるのは気が退けます。少し離れていますが同じ道幅なので、緑の屋根付き駐車場は諦めました。

荒町諏訪神社

 「馬籠」では大ざっぱなので、荒町諏訪神社としました。

島崎正樹翁碑 鳥居脇に、「島崎正樹翁碑・夜明け前・青山半蔵」とある案内板と石碑があります。島崎正樹は(詳しくは知りませんが)わかります。「夜明け前」も島崎藤村の『夜明け前』です。青山半蔵も、確かその中に登場します。しかし、ただの箇条書きでは何の碑かわかりません。読めばわかると碑文に目を向けますが、こちらもコケが覆っており判読できません。“知る人は知る”で、諏訪神社よりこの碑が目当てという人もいるでしょう。しかし、私は諏訪神社です。

荒町諏訪神社 「村社・諏訪神社」の社号標を右に見て参道を進みますが、なかなか良い感じです。広くはありませんが、そのコンパクトさが左右の杉並木とマッチしています。右に空井戸を見て左折すると大きな舞台が現れました。前面フルオープンなので開放感があります。その分砂埃が覆っていますが、ザックの表を下に置いて拝殿に向かいました。

荒町諏訪神社本殿 拝殿の三面は格子ですから、まったくのシースルーです。しかし、最奥の本殿直前の格子戸は、同じ格子でも奥が暗いために目隠しの役を果たしています。そのため、何かが模様として見えるのですが、具体的な形はわかりません。
 それでも、目を細めながら注視すると、御扉の前に幣帛が四本置かれていることがわかりました。祭神が四柱祀られていることになりますが、案内板がないので、詳細は不明のまま拝殿を後にしました。

荒町諏訪神社

 境内からは、拝殿本殿を含めても「諏訪神社」を伺わせるものがまったくありません。地元では「神社」と言えばこの「諏訪神社」しかありませんから、改めて「諏訪」神社とわかるものを掲げる必要性はないのでしょう。

馬籠の諏訪神社は今でも長野県の神社

 かつては、といってもつい最近まで「長野県の馬籠」でしたから、長野県人としては岐阜県に取られてしまったような悔しさがあります。そうは言っても「山口村の馬籠」ですから、村民が選択したことに異議は唱えられません。「岐阜県中津川市の諏訪神社」として定着するまでの暫定サービスでしょうか。「長野県神社庁」では、三年経った現在でも、「木曽支部」の最下段に「住所:岐阜県中津川市」として諏訪神社を含む三社が載っています。それとも、「飛び地」ならぬ「飛び神社」として、永久に岐阜県の神社とは認めない決意を表しているのでしょうか。私は、後者の方にエールを送りたいのですが。

諏訪社 村社 社一間三尺方、社地東西卅五(15)間、南北十八間、面積七百九十三坪、本村(山田村)西南の間字新ラ町にあり。祭神武御名方命、天照皇大神、伊謝那岐大神、誉田和気命、伊謝那美大神、木華開耶姫命なり。創建寛文六年(1666)丙午十一月なり。祭日九月二十七日・二十八日、社地中、杉椹檜等老樹あり。

長野県『長野県町村誌』