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西坂諏訪神社 京都府綾部市 20.11.19

 京都府綾部市西坂町にある諏訪神社は、地元の地名を冠して「西坂諏訪神社」と表記しました。

 (南丹市の)美山町から綾部市へ抜ける府道12号があります。かつて、福島県の「奥只見ダム湖」沿いの道で懲りていましたから、「大野ダム湖」に沿った道には不安があります。試しに「府道12号」で検索すると、二車線幅の快適な道とわかりました。自宅で居ながらにしてわかるという便利な時代ですが、それも、情報をアップしてくれる人のおかげです。これで大廻りしなくて済みました。感謝感謝です。

西坂諏訪神社

綾部市・西坂諏訪神社 カーナビの「右・左」の言葉に従った先に綾部市がありました。綾部市は、国宝「光明寺仁王門」を訪れた帰りに通過したことがありますが、「諏訪神社」でまたお世話になろうとは思ってもいませんでした。再び府道に乗り換えると、何と「物部」の標識が現れました。京都府に「物部町」があるとは知りませんでした。

 ピタリ、諏訪神社の前でした。降りると、まだ3時前とはいえ、すでに陽は傾いています。丹波山中では雲を通して「やっと」という陽光でしたが、ここでは夏の眩しい日射しを思わせました。そうは言っても11月半ばですから、風が強いこともあって、その恩恵を受けるのは直射を受ける部分だけです。それを背に受けて、府道9号脇にある石段を上りました。手書きの「諏訪神社由緒縁起」があります。外来の参拝者には嬉しいお迎えでした。

一、鎮座 京都府綾部市西坂町嵩松五十四番地の一

一、祭神 建御名方富神と姫神八坂刀売神

一、創祀 建久四年(1194)源頼朝の命により信州上田城主(豪族)上原右ェ門丞景正が丹波国何鹿(いかるが)郡の地頭職に任ぜられ、物部町下市の高尾(屋)に城郭を構えて居住し、信州一の宮諏訪明神の分霊を祀って氏神とし、領内の各所に諏訪神社を創設し祀らせた。当神社もこの当時に創祀されたと考えられる。氏子崇敬者の地域は西坂町一円であり村社高蔵神社末社であります。

一、境内社 太田神社(稲荷神社)・熊野神社・厄除け神社
長床の神殿の中には権現社・馬宮社・庚申社・清正公社が祀られているが、明治二十七年頃長床が火災に遭い古文書等資料が焼失した。

一、祭儀
放生会祭 九月十四日
 神事として祭りの当日境内の中央に仮設土俵が作られて年少の子から順次勝ち抜きで進められ終わりまで勝ち残った二人が最後に力比べをし、わざと負ける相撲を相互に取り結びとなる。放生会祭は、お諏訪様の水を司り給う限りなく尊く高き御神徳御恵を感謝し、魚など放して心から神に感謝する意義深いお祭りである。
秋祭り 十月十七日
 お祭りは高蔵神社の神輿御巡幸の御旅所で、この神幸の途次宮司が参拝し自治会長始め氏子町中のお旅の奉仕者が参拝のもと例祭が厳修される。

綾部諏訪神社 さらに壇を一つ上がると、正面の覆屋の中に小さな社殿が見えました。近づくと、覆屋の柱に表札のような「諏訪神社」が掛かっています。その大棟にも金色の神紋「明神梶」が光っています。鳥居額も「諏訪神社」でしたから、“十重二十重”の「御印」に、綾部の「諏訪神社」に間違いないことがわかります。由緒書きもない上に、どこにも「諏訪」や「神紋」が見当たらない諏訪神社もあるので、小気味よく「。」が打てました。

綾部諏訪神社神紋 本殿の向拝柱に「大祓修符」と印刷された赤と青の紙が貼ってあるのに目が行きました。幣帛も供えられています。この札は京都府の神社でしばしば目にしましたから、個人か団体かはわかりませんが、広範囲に巡拝している人がいるのでしょう。
 拝礼の後で本殿の屋根を観察すると、大棟と鬼板にも「明神梶」が見えました。暗い覆屋内とあって、最大感度が400のカメラでは上写真が精一杯でした。再び「梶紋」を見たことで、今日の諏訪神社巡りを気持ちよく締めくくることができました。

上原氏について少々…

 『伊藤富雄著作集 第一巻』の「京都諏訪社の御射山祭」に、縁起にある上原氏の“消息”が載っていました。

上原氏は古い上社大祝家の分家で、神氏の一統であります。上原九郎成政は頼朝創業の時、北条義政の家来となり諏訪を去りましたが、建久四年丹波国物部郷(現在京都府)の地頭職を賜り、この地に永住しました。

 次は、諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書』の「神氏系図」です。

成政(上原九郎) 建久四年丹波国守護、物部郷并西保地頭職令拝領

 この両書から、西坂諏訪神社『諏訪神社由緒縁起』にある「信州上田城主・上原右ェ門丞景正」は間違いとわかりました。つまり、「上田城」は諏訪における上原氏の拠点であった(茅野市)上原城で、「右ェ門丞景正」は九郎成政ということです。

 その後、ネットで、同地の物部城の案内文に「上原右ェ門丞景正(上原成正とも)」とあるのを見つけました。さらに調べると、この誤記は『上原家文書』にある記述とわかりました。地元では“このこと”は周知の事実ということですが、物部町外から来た人には「?」となってしまったのが諏訪神社の『由緒』でした。