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広瀬諏訪神社 南木曽町吾妻広瀬 20.8.7

 地図から手動でセットしたので、GPSはすでに国道上で「目的地周辺です」と言って手を引いてしまいました。しかし、喫茶店が一軒あるだけです。行き過ぎてから地図を確認すると、そこしかありません。
 国道沿いとは言え、こんな山中になぜ喫茶店だけが一軒ポツンとあるのか不思議です。今は車が二台駐まっていますが、夜間では「山猫亭」のこともありますから、誰も入る気にはならないでしょう。すでに2時で、ここを逃せば峠から飯田に出るまで昼飯にありつけないのは“必須”です。しかし、何か躊躇してしまい、タイミングが取れないままその横の道を下りました。

 GPSで表示しない神社は、ネットで閲覧できる地図サービスの中から三社を参照しています。どれにも載っていない場合は、行き先は字(あざな)だけということがあります。今回はその一つに、名前なしですが鳥居の凡例がありました。近くに「広瀬」がありますから間違いないでしょう。後は現地の人に訊くだけです。地元では大メジャーの諏訪神社ですから、もう一発です。

 一輪車を押す年配の夫婦連れに会いました。「すぐ先に石段がある」と返ってきました。印刷したネット地図では、鳥居マークは広瀬の集落へ続く道と国道がほぼ等距離です。先入観から国道に近い場所にセットしたので、GPSはプログラム通りに「国道周辺」を指示した、とわかりました。
 石段を上りますが民家が正面に立ちふさがっています。造りは普通ですが固く閉まっているので、適切な名称が見つかりませんが神社付属の建物でしょう。右に回り込むと奥に小さな倉がありました。鳥居をくぐった先の急な石段は新しく、一目で花崗岩とわかりました。年月による崩れもありませんから、ごく最近に新造したようです。

広瀬諏訪神社

広瀬諏訪神社 形だけを見ると「神明鳥居両部風」でしょうか。安政4年の神灯を確認して拝殿前に立ちました。拝殿にも「諏訪大明神」の額が掲げられています。一の鳥居も「諏訪神社」でしたから、諏訪神社巡りをする者にとってはありがたい「印」です。名前は、字が広瀬なので「広瀬諏訪神社」としました。

広瀬諏訪神社 拝殿前から本殿までの距離を「有効範囲外」と見ましたが、取りあえずフラッシュを使ってみました。本殿は、蘭諏訪神社と同じような大きさ形です。同じ「吾妻」地区ですから、同時期に新築または改築があったと思われます。
 榊の枯れ具合も同じす。前回の祭りからかなり経っているようですが、今は8月ですから、そう昔のことではないかも知れません。幣帛が手作りなのが何ともこの諏訪神社に似合っていて、お年寄り(とは限りません)が、神妙に半紙を切って榊の枝に挟んでいる姿を想像してしまいました。

「広瀬諏訪神社」大棟の梶 本殿の屋根を確認すると、大棟に何かが貼り付いています。注視すると諏訪神社の神紋「立穀の葉(梶の一枚葉)」であることがわかりました。カメラにとってはかなり暗い覆屋の中を、格子の間から撮ったのが右の写真です。鬼板にも同じ彫刻がありますが下半分が見えません。詳細は自宅で、とシャッターを半押しにしますが、AFは迷っているばかりでピントを合わせられません。AF補助光の赤いスポットがボケていますから少し距離がありすぎるようです。格子の隙間という悪条件もあります。何枚か撮って、結果は自宅でお楽しみとしました。

 広瀬に鎮座していた諏訪神社は、鳥居・拝殿の社額・本殿と全てが字や紋で「諏訪」を表していた“諏訪神社らしい諏訪神社”でした。久しぶりの充足感を得られましたが、一段落すると空腹感の方が…。降りる前に石段を見下ろすと、セミの喚きが瀬音に代わりました。ここからは全く見えませんが、川底から伝ってくる音からかなり流量が多いようです(自宅で確認したら「蘭川」でした)。
 国道から広瀬に下りきると「広瀬石仏安置場」があります。その駐車場らしき広場に車を駐めていたので、帰りに寄ってみました。「広瀬石仏合社安置の由来」には、「野仏の盗難が頻発したので広瀬全域から集めて安置した」とありました。馬頭観音が主なようです。その台座はコンクリートでしっかり固定してありました。

「広瀬諏訪神社」鬼板の梶 自宅で鬼板の梶紋を確認すると、光量不足ですが一枚だけ撮れていました。下半分が見えないので、その意匠から大棟と同じ「立穀の葉」としました。屋根そのものはわかりませんが、大棟と鬼板には黒い彩色が残っています。漆でしょうか。

諏訪神社 創建は不明だが、最も古い棟札に延宝5年(1667)11月21日とある。(観音堂の書き上げより)

『南木曽町誌』「村の神社仏閣」

諏訪社 蘭の諏訪神社と同じであるが、慶安四年(1651)個人の氏神を村人の総意で村の産土神にしたという。当時妻籠宿の枝郷のまた枝郷ともいうべき戸数もわずかな(享保の検地帳に載っている人名は蘭村全域で九十一名、そのうち広瀬は十九名)この村の社を、妻籠の牛頭天王社、蘭の諏訪明神と同格に扱う配慮をしなければならなかったのか、考えさせられる。(延宝五年の書き上げより)

長野県教育委員会編『歴史の道調査報告書』「大平街道」

 『南木曽町誌』と『歴史の道調査報告書』が、蘭諏訪神社とほぼ同じ内容を記述しています。「現在の」と但し書き付きですが、本殿も規格が同じようなので、『調査書』でいう「蘭と広瀬」の繋がりに興味を引かれます。多分例祭日も同じか一日違いでしょう。
 『調査書』の「大平街道」に、妻籠から蘭・広瀬を通り大平へ向かう道の解説がありました。

広瀬の入口は、度重なる水害のあと地である。ここから、広照寺、諏訪神社のあるに上がり、坂を下るのが旧道である。

寺組山の神 「寺」は誤字だろうか、と悩んでいたら「寺組山之神」を思い出しました。左写真で確認すると間違いありません。「寺」は字(あざな)で、軒数が少ないのでそのまま「組(隣組・常会)」の名前にしたのでしょう。
 国道から下りた突き当たりがT字路でしたから、諏訪神社下の道が旧道であることが分かりました。ピンポイントとなる諏訪神社巡りでしたから、自宅で資料を読み進めるうちに「また行ってみようかな」という気になりました。