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穂見諏訪十五所神社 山梨県北杜市(旧長坂町) 21.4.8

長坂郷土資料館

 国道20号から九十九折りの急坂を上り詰めると、分岐に「長坂郷土資料館」の看板が見えました。平坦になった道に、「いざ、穂見諏訪十五所神社へ」と、人・車揃っての加速時でしたから、一瞬は緩めたアクセルを再び踏み直しました。
 なぜか、資料館から遠ざかる毎にその存在が大きくなります。「やっぱり寄っていこう」と、方向転換をするために目に付いた小路に入りました。ところが、すぐ上が神社です。カーナビが道中で「中丸」を表示していたので、自宅で参拝神社のリストに加えていた、住所「長坂町中丸1140」の「諏訪神社」が“導いてくれた”と感謝しました。しかし、窓から仰いだ鳥居額は「藤武神社」でした。「神意はそう簡単には現れないものだ」と、まだ遠い神様との距離を感じながら180°向きを変えました。
 資料館の向かいには、名前だけは知っている「清春白樺美術館」がありました。今の私は「諏訪神社」しか見えませんから、その桜だけを眺めて、頭に「北杜市」が付いて「町」が消えた資料館に入りました。

穂見諏訪十五所神社「筒粥神事」

 神社関係の資料はなく、今でも興味を持ち続けている考古資料を見終えると、後はトイレに寄るだけです。ロビーに向かうと、テレビに「穂見諏訪十五所神社」の文字が映っています。これから行く神社なのでメニューの詳細を注視すると、何と「筒粥神事」です。まったく知識になかったので驚きました。祭神から「少し勉強してから来い」と“差し戻し”をされたような思いがしました。

穂見諏訪十五所神社

穂見諏訪十五所神社

 すでにビデオ資料で見ていた穂見諏訪十五所神社ですが、桜が咲き始めていたこともあって、ハス池や太鼓橋が付属する雅な神社に寝殿造を連想してしまいました。銅板葺きが眩しい新築の随身門をくぐると、左に大きな神楽殿とこれもまた立派な拝殿が正面に現れました。

穂見諏訪十五所神社ケヤキ 案内板にあった、旧・町指定天然記念物「穂見諏訪十五所神社の大ケヤキ」が右手にあります。樹齢が七百年余という大木ですが、写真の主題はその背後に写っている社務所です。
 屋根の上に、特徴ある黒い突起があるのがわかるでしょうか。これが「筒粥を煮るストーブの煙突」です。早速ビデオ予習の成果が出ましたが、直行便では「変な造形物」としか目に映らなかったでしょう。「神事」のイメージとはかけ離れた「筒粥殿」ですが、諏訪大社と違い、氏子の「奉仕作業」とあっては暖房が最重要となるでしょうか。

 長坂郷土資料館のビデオでは「筒の数が33本なので、今は廃れた諏訪大社上社前宮の筒粥神事が伝わった」とある説明に興味を惹かれました。また、宮司は「十五所は、天・地・人に分けて…」と述べていますが、これは諏訪に多い、建御名方命夫婦神+御子13神で「計15神の十五社」を勧請したと見た方が(諏訪から来た者としては)納得できますが…。

穂見諏訪十五所神社本殿 社務所横から本殿へ登る道がありました。境内社を右に見て近づくと、「雨屋」とある覆屋下の本殿は、さらに金網に覆われていました。拝殿から本殿に直登する石段最上部に「天保三年」の文字を確認してから左に回ると、風向きによるものでしょうか、金網一面に杉枯葉が貼り付いています。写真としては面白いのですが、本殿の仕様を紹介できないのでボツとしました。
 「穂見諏訪十五所神社本殿」は、旧長坂町指定文化財で「江戸中期の再興と推定」とあります。暗い上に金網越しなのでハッキリとは見えませんが、大棟に神紋の「梶」がありました。見納めに改めて横から眺めると、向拝の柱が曲がっているのに気が付きました。目の錯覚か、と本殿全体を見直すと、基礎を含めて全てが山側に沈み傾いていました。

道祖神と灯籠 渡り廊の奥に石祠6棟が並んでいます。その大きさと凝った造りに引かれて近づくと流造+唐破風で、最大の祠は高さ1.5mはありそうです。ここでも明治期の“神社再編”で周辺の神祠を集めたのでしょう。
 写真では右奥に小さく写っている灯籠ですが、この形は初めて見ました。板(リブ)状の突起が竿の上部に、中台を支えるように造りつけられています。「寛政二年」とありますが、残念ながら対はなく一基だけでした。
 立派な神楽殿があります。現在も、例祭に「太々神楽」が奉納されているようですが、見たことがないので説明は省きました。

諏訪明神 長坂上條村
 社記曰(いわく)、十五所明神を祀る。穂見神社是なり。祠旁に七池あり。前の小渓を宮川と云。本村及下條、澁澤(渋沢)三村ノ鎮守なり。
甲斐国志刊行会編『甲斐国志』