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上今諏訪 諏訪神社 山梨県南アルプス市白根町 21.3.28

 タイトルに「諏訪」が続いていますが、上今諏訪にある諏訪神社ということで、誤記ではありません。

 郷土誌『オール諏訪』に載っていた『甲斐国「御射山」勧請伝承考』に、目が釘付けになりました。寄稿した原直正さんとは縁あって二度お会いしていますが、彼の底知れぬ知識に脱帽しました。

 その文中に、「山梨県南アルプス市白根町上今諏訪の諏訪神社は、他所には見られないような摩訶不思議な空間を形作っている」とあります。
 空間、すなわち「諏訪神社(諏訪大社)の社殿構成を忠実に再現した上今諏訪神社」に強く惹かれ、私も自分の目で「山梨の諏訪神社」を参拝することにしました。
 この『GoogleMap』は、上今諏訪諏訪神社の“摩訶不思議な空間(摂末社の鎮座場所)”を表示させたものです。

上今諏訪 諏訪神社

上今諏訪諏訪神社 下手な説明より、と境内にある「由緒書」をそのまま載せました。この神社の特殊性が書かれているので、マーキングした箇所だけでも頭に叩き込んでください。


 勧請年月は不詳である。『甲斐国志』によると、「諏訪明神(上今諏方村)御朱印社領二石一斗余、社地方一町余、此祠及下今諏方祠ハ本州に諏方明神ヲ勧請ノ権輿ナリ故ニ村名トスト云」とあり、末社には春宮・秋宮・御柱社・十三所(蔵)社・中島社があり、その構成は信州諏訪大社と同一であり、他の諏訪神社には例がなく、旧白根町唯一の旧郷社である。
 例祭日には末社春宮・十三所社・秋宮・中島社・御柱社と神輿渡御があり、釜無川にも御幸して防水祈祷を行う。前夜祭には十三所社中に七重の注連を張りこれを切り払って祭礼の始めとしている。
 平成十五年例祭日より御神輿渡御は交通事情により中断しているが当日末社の祭礼は行う。

 諏訪大社上社の現行の御射山祭では、神輿が御射山社へ渡御し、祭事が終わると、神戸八幡神社で休憩してから戻ります。また、明治維新までは、「八乙女」という巫女職がありました。これらを頭に入れて下記の上今諏訪諏訪神社「御射山祭」を読むと、さらに興味が湧きます。

 往古は毎年七月初一日に十三所社中に今と同じく七重の注連を張る。是を祭礼始めとし、十八日に萱を刈って御柱社中に仮殿を造り、これを「刈萱の神事」及び「穂屋祭」と称し、廿一日には十三所社中に神幸、剣を抜いて七重の注連を切り払って神輿を渡し、それより御柱社中の仮殿に御幸する。
 これを「御射山祭」といって、近隣の村々の者はみな来拝したもので、またその当日は、東八代の白井河原の八乙女宮まで神輿が渡御し、途中の成島の八幡神社の境内に休憩する場所が決まっていたと云い、翌日廿二日には十三所社・春宮・秋宮・中島社まで神幸が行われたが、その時の神輿の通路は「諏方ノ原」と呼ばれ、神輿が還幸すると相撲場で盛大の奉納相撲が行われたものでる。

本殿と磐座

上今諏訪諏訪神社本殿 平成3年に建て替えられた拝殿の横を廻ると、本殿は予想外の「春日造」の姿を見せていました。同じ諏訪神社でも山梨県です。「ところ変われば…」と言いますから不思議ではありませんが、それでも「流造」を見慣れている私には、春日造に梶の神紋は奇異に映りました。

上今諏訪神社磐座 原直正さんの記述にあった「磐座」を確認しようと、本殿裏の高みに登ってみました。大小二つの石がありますが、諏訪大社の「硯石」に合わせたかのような「扁平な石」が磐座でしょう。写真でイメージしていた大きさと違い慎ましいものでした。
 古い写真と比較したら、やや右にズレているように見えます。結界がありませんから、子供(大人)がそれと知らずに動かした可能性もあります。

高辻

高辻 高曇りとあってやや色が地味ですが、“これから”という若木がつけた桜花の下に、「高辻」とある土俵がありました。高さは2m以上あるので「高」でいいのですが、交差点である「辻」が結びつきません。


 「高辻」を調べてみましたが、その語源はわからず仕舞いでした。「『辻(十字路)』の中心に土俵を造り、東西・南北と交互に力士が入場して相撲を取った」「『辻』は、突き固めた『築地』の転化」の二つを考えてみましたが、後者の方が“学術的”なので推薦としました。一方の「高」ですが、下からは見にくい形状が説明できません。「奉納相撲」ですから、神様に近い高土俵としたのでしょうか。

原山社

原山祠
 この石祠は、もと北原地内の村境近くにあって、古くから住民に親しまれてきた原山さんを昭和五十四年秋、氏子総代一同の奉仕によって此処に遷したものである。
 江戸時代の末期篤信の二人の村人が、青哲村青木の原山神社から勧請したものとの伝えもあるが年代その他さだかではない。
 嘗(かつ)ては、胃腸の患いに霊験ありと近郷から信仰され昭和の初期頃までは毎月八月二十七日に例祭が行われていた。
 元来、原山というのは諏訪神社の主要祭場の一つであり、今も諏訪大社では上社にあっては八ヶ岳の山裾、下社にあっては霧ヶ峰の山腹にそれぞれ原山様を祀り、八月二十七日の例祭日には幼児の健康祈願のための盛大な祭典が挙行されている。
韮崎市の旧清哲村の間違い?

原山社 上今諏訪諏訪神社の境内では、入口側にある祠です。背後の案内板には「どちらが」と書いてないので、二棟とも載せました。

 由緒には書いてありませんが、例祭日と内容から、原山社が「御射山社」であることがわかります。これほど忠実に諏訪神社上社(諏訪大社)を再現した諏訪神社は、日本でここだけでしょう。

 末社の各神社については、以下のリンクでご覧下さい。


‖サイト内リンク‖  「御柱社・十三所社・春宮社・秋宮社・中島社」