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高野諏訪社と北沢大石棒 南佐久郡佐久穂町 17.4.24

高野諏訪社

 今立っている八幡社の前から約200mほど先でしょうか。まだ枯葉色に覆われている高台のそこだけを如何にも満開という桜が覆っています。方角がわかったので、そこに向かうと思われる道を選択しました。

高野諏訪社の桜 短い坂道を上り詰めた(高野町にあるので)高野諏訪社の境内では、思わず笑みがこぼれてしまう桜花の下で、大勢の人が宴席の準備をしていました。この諏訪神社を産土社とする地元民の花見でしょう。その中での私は全くの異邦人(不審者)という立場ですが、カメラを手形代わりに高野諏訪社の拝殿に近づきました。

高野諏訪社の本殿 由緒書には「元和二年諏訪神社よりご神体が分納されて仮宮。元和八年(1622)新築。現在の本殿拝殿は平成四年に総改築」とあります。さらに続く「明治29年に神饌幣帛料供進指定神社に列された」とある件(くだり)に興味を持ちましたが、今の私にはそれを理解する知識は持ち合わせていません。

 事前の調べで、「北沢川の大石棒」の近くに小さな神社があることを知っていました。それが「諏訪」でなければここまで足を運ぶことはなかったのですが、御柱と神紋が無いのを確認した以上、もうここに止まる理由はなくなりました。三々五々登ってくる老若男女とすれ違いながら諏訪神社を後にしました。

 「神饌幣帛料供進」を調べると、「府県社以下の神社の神饌幣帛料を地方公共団体が負担」とありました。法令で、当時の村(町)から幾ばくかの金が神社に渡ったのでしょう。

北沢大石棒(北沢川の大石棒)は、日本一の大石棒

日本一の大石棒「北沢川の大石棒」 田圃の土手にあった「北沢川の大石棒」は、「日本一大きい」と冠が付く長さ2.23mという縄文時代の遺物です。余りにも古すぎて書くことがないのでしょう、教育委員会設置の案内板は数行で終わっていました。
 この大石棒は触ったり撫でたりしても全長が変わることはありませんから、写真を撮り終えれば、「日本一」であっても、私がここに立っている“意義”はなくなります。また、私がここを離れてもこの世から消滅しても北沢川は流れ続け、大石棒もここに立ち続けるのでしょうが…。それ以上のことを考えるのは止めにしました。