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岩窪諏訪神社(石宮) 山梨県北杜市 21.4.8

 事前のサイト検索の予習で、大石と大木があるのはわかっていました。それでも、目の前にした大石群には驚きました。巨石ではありませんが、ここだけにまとまってあるのが不思議です。特異な景観なので、まずその周囲を観察をしました。
 鳥居を正面にすると、岩窪諏訪神社の右方はゲートボール場で、その端は小尾根につながっています。その背後に見える古くからの集落は別として、左方から後方は田んぼが広がっています。

中央本線と小海線

 見通しが利く神社左手の畦に立つと、ここは八ヶ岳の裾野でも上部に位置するので、傾斜が強まった分だけ「広い棚田」となっているのがわかります。やや仰ぐ視界を横切って、JR中央本線の盛り土が連なっています。八ヶ岳はやや左で、「これが同じ山」と言うほど、私が見慣れている姿を大きく変えていました。

岩窪諏訪神社 見渡しても「不思議さに変わりがない」ので、幟枠のある参道から境内に入りました。昔の姿を知りませんが、今は遊具がある公園になっているので明るく開けています。鳥居をくぐると、拝殿の左方に本殿が連結しているのが見えました。通常なら側面となる場所ですが、石段があり賽銭箱があり格子戸がありますから、拝殿正面でしょう。拝礼をしてから上の梁を仰ぐと、神紋「諏訪梶」が彫られています。いつもの確認で屋根を眺めると、鬼板にも同じ紋が見られました。

神紋 本殿が正面になる右側に回り込むと、賽銭箱こそありませんが全く同じ造りで、注連縄が掛かり格子の向こうには定紋幕が見えます。当然ながら奥に本殿の正面が見えます。「拝殿に二つの入口」がこの神社の変遷を示しているようですが、現時点では全くわかりません。取りあえずコンパスで確認すると、「拝殿─本殿正面ライン」は「磁北」を指していました。
 自宅に戻ってからの話ですが、この延長線の先は、地図では「(八ヶ岳の)蓼科山」が該当しそうです。しかし、神社からは西岳が障壁となって見えませんから、単に北向きにしただけでしょう。

岩窪諏訪神社「大石」 左のシルエットになっているのが境内最大の石です。3m以上はあるでしょうか。境内の離れた位置にも大石が散在していますが、本殿裏の小山に多くが集中しています。
 「石がまとまってあるから山になった」とも言えそうですが、その石上や陰におびただしい石祠があります。今では小祠に占領された感がありますが、神社の統廃合があった明治以前は、本殿の裏は石だけだったと思われます。

 やはり「なぜここだけに石が」と気になります。「開拓時に邪魔な石をここに集めて置いた」とは、その大きさからあり得ません。「八ヶ岳が噴火した時に、神が意思を持って大石をこの地に集中して落とした」と考えてみましたが、これは誰も信じないでしょう…。
 近くの資材置き場には同じような石が山と置かれています。かつては、神社の境内だけではなく周辺にも大石がポコポコとあった可能性もあります。

岩窪諏訪神社「本殿」 本殿の彫刻は凝ったものですが、案内板がないので私には説明できません。鬼板に赤く塗られた神紋らしき彫刻があるので、自宅で確認と撮った写真は、ピントが覆屋の天井に合っていたので何なのかわかりませんでした。
 上写真では「社殿の右下に大石の一部」が見えます。本殿との位置関係から、岩窪諏訪神社一の磐座でしょうか。外からは、大石の先端が覆屋の下に潜り込んでいるように見えました。

 以下は後日の話ですが、図書館で「降雨石と称する石は神殿にあり。古来より該石に足踏する時は……たちまち降雨せり。(当社由緒書)」を見つけました。その時は、「曰くのある石かもしれない」と思いながらも、ついその上に立ってしまいました。神意があった(雨が降った)かどうかは別として、「境内では慎重な行動を」と反省しました。

 樹齢300年以上というツガと、ケヤキに巻き付いたフジの老木があります。こちらは眺めただけで車に戻りました。

諏訪明神 小渕澤村
 林中に大石多し、よって石宮と称す。祠の位に高一丈五、六尺の大石あり。古時は神を此上に祀る。
甲斐国志刊行会編『甲斐国志』
 当社社記によると、巨石累々古樹鬱蒼としたこの地を選んで、諏訪明神の分霊を奉遷して石宮明神と敬称し、その後諏訪明神と改称した。
 仮宮であった石宮明神は、永享元年(1429)萱葺の拝殿を建立、安永三年(1774)総彫刻鱗葺欄干付本殿を建立し、神社の尊厳を整えた。(中略) 昭和28年拝殿および本殿覆屋を改築した。(中略)
天然記念物 大欅(目通り4.2m),大栂(4.5m)、大藤の木(2.7m)がある。
小淵沢町誌編さん委員会『小淵沢町誌』から〔岩窪諏訪神社〕