諏訪大社と諏訪神社トップ / 諏訪神社メニュー /

鎌宮諏訪神社(鎌の宮) 石川県鹿島郡中能登町 15.11.23

鎌の宮諏訪神社 「正部谷集会所」があります。神職の姿が見えたのでガラス越しにのぞくと、広間の隅に祭壇が設えてあります。傍らの社旗は「諏訪神社」です。
 三々五々集まってくる、やや改まった服装の人々を見て、これから例祭があるのを知りました。時計を見ると2時少し前です。自宅を出て5時間、小雨の安房峠から富山を経て到着した「鎌宮諏訪神社」はお祭り日でした。
 瑞垣から大きく張り出した緑塊が神木です。近づくと、それに並んで枯木があることに気が付きました。かなりの大木ですが、すでに上部は切断され樹皮の多くが失われています。

鎌の宮諏訪神社の神木 乾いた灰褐色の木肌に半ば埋もれた無数の鎌があることから、初代の神木でしょうか。コブの先端に鎌先を見て、全てのコブが枝打ちの回復痕ではなく鎌を呑み込んだ跡とわかりました。私には、「壮絶な死に様」をさらしているように見えました。
 基部には大きなウロがあり、それをふさぐように鬼瓦が一対置かれています。社旗にもある神紋があることから、かつては大きな本殿(または拝殿)があったのでしょうか。

鎌の宮諏訪神社の神木 鎌宮諏訪神社の神木は「タブ」です。しかし、長野県諏訪地方では全く馴染みがありませんから、「これがタブか」という認識しか持てません。所変われば「タブ」と断定できないでしょう。
 現在は上写真のタブが新しい神木となっています。錆びた鎌の多さから、代が替わってかなりの年月が経っているようです。避雷針のケーブルが這っているので、初代の神木が枯れたのは落雷が原因と直感しました。何しろ、金気を含んだ大木ですから雷を誘導するようなものです。ところが、「台風で大枝が折れから一気に樹勢が衰えて枯れた」ということでした。

鎌の宮諏訪神社の神木 境内の由緒には「稲穂と白木綿をつけて」とありますが、写真のように紅白の水引が結ばれていました。稲穂の状態から、上の一組が今年の8月27日に打ち付けられた鎌でしょう。
 長野県の「境ノ宮・小倉明神」は12年に一回ですが、ここでは年に二丁なので十年で二十丁の鎌が打ち込まれます。そのため、方向も重要な要素だと思いますが、スペースがないのか最新の鎌は裏側に打たれていました。見方によっては満身創痍の木姿が凄まじく、悲鳴が聞こえてきそうでした。
 窓越しの見学ですが、神事は、神木の方向に当たる部屋の隅に向けて行っています。祝詞奏上・玉串奉奠のあとは直会で、特別なことは行われなく終了しました。
 簡素というか余りにもあっさりとした神事に、「今日は何のお祭りですか」と訊くと、何とも面白くない全国共通の「新嘗(にいなめ)祭」でした。確認するのは控えましたが、神事を室内で行ったのは雨対策と思われました。
 能登では、七尾市江泊町の諏訪神社・鹿島町藤井の住吉神社・鹿西町金丸の諏訪神社の三社で鎌打ち神事が行われ、いずれも石川県の無形民俗文化財に指定されています。これが諏訪大社の薙鎌打ちと比較され、どちらがルーツなのかと議論を呼んでいるそうです。

鎌宮諏訪神社「鎌打ち神事」 21.8.27

「鎌打ち神事」鎌宮 神事は、待つ身には「ようやく」という4時に始まりました。地方の諏訪神社の例祭に立ち会うのは滅多にありませんが、今朝の日室諏訪神社もそうでしたから、能登では、神職の太鼓打ちから神事が始まるようです。
 写真では見えませんが、中央の三方に「一対の鎌と鎚」が置かれています。その前に、総代や地区の役員、さらに町長を始め今回調査で訪れた県の文化財担当者も参列していました。神事次第は通常のものですが、参列者全員という玉串奉奠が長く感じられました。再び太鼓を鳴らして、神木前の神事は終わりました。

「鎌打ち神事」鎌宮 新しい注連縄が掛けられました。始めは神職が三人いるのかと思いましたが、トキ色の狩衣を着ていたのは「今年の鎌打ち当番」でした。大は小を兼ねるという烏帽子のサイズが彼に合っていないのが納得できました。
 全員注視の中で、今年の鎌が打ち付けられました。あらかじめ指定された場所に打つのですが、鎌先が自分の方へ向いているのと体勢が梯子上とあって、位置決めが難しそうです。記念に頼んだカメラマンでしょうか。「ポーズを取れ」と声が掛かります。二本目は、振り返った笑顔に余裕が見られました。
 県の調査チーム・報道関係者・神事見学のサークル、さらに諏訪からも「LCV」の撮影クルー4人が加わり、百人を越えようかという賑やかな神事でした。今夜は多彩な催しがあり賑やかそうですが、私はすでに帰りの心配をしていました。