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神代神社 島根県出雲市斐川町 19.5.4

 加茂岩倉遺跡から、カーナビの指示に従って最短距離の峠越えです。道が平坦になると、諏訪より半月早い春の山里に包まれ思わず笑みがこぼれました。「そろそろ目的地」と、地図から得た「交差点の手前右」を唱えます。カーナビが「神社」を表示しなかったためです。

「田園空間博物館」
 行き過ぎたのがわかり、Uターンができそうな空き地に乗り入れました。完全に停止すると、まだ風を切って突き進んでいる時間軸に置き去りにされたような感覚を覚えました。余りにも少ない旅の持ち時間がそう思わせるのでしょうか。

神代神社の案内板
「田園空間博物館」 女の道って…

 道脇の駐車場に、斐川町が設置した「田園空間博物館」と(副題が)ある「神代神社」の案内柱がありました。右には写真付きの解説板もある“二本立て”ですが、「鳥居だけ」を目標物としていたので、まったく気が付きませんでした。
 ここで初めて、目的とする神社が「神代神社(かむしろじんじゃ)」であることを知りました。「出雲の諏訪系神社を訪ねる」という企画なので、ネット地図で見つけた神社名なしの鳥居の凡例だけが頼りでした。「地図では鳥居が無くても神社」なので、やはり責めるべきは自分の勝手な思い込みでしょう。

神代神社

神代神社

 火袋以外は自然石という灯籠を左右に見て、石で土止めした歩き難い参道を上りました。突き当たりのやや右手に神代神社の入母屋造りの拝殿が現れ、それに本殿が連なっています。
 まず見上げた鬼板は、(後で調べた知った)「亀甲に蔓柏紋」でした。覗き込んだ拝殿内の定紋幕も同じ神紋で、掲額も「神代神社・宇夜八幡宮」とあるだけです。予想というか期待した諏訪社が全く見えません。

謎の石柱・謎の…

 境内左奥に、林を背負った禁足地風の暗い空間が望まれます。あるはずのない墓石が何やら怪しげな雰囲気を…、と持ち前の興味がもたげます。
神代神社の「社日」
 その前に建つと、正面が天照皇大神で、大己貴命・稻倉魂命・埴安姫命・少彦命と順に彫られていました。一体何でしょうか。諏訪では全く見られない神様の羅列に当惑しました。出雲だったら意地でも天照皇大神なんか祭るな、と言いたいのですが…。
 石塔の右方向・丁度本殿の裏に当たる場所に、幾重にも掛けられた注連縄に、その中がどうなっているのか分からない「正体不明」としか言い様のない“モノ”が立っています。

 竹の先端に挟んだ幣帛も刺さっています。その朽ち具合から、焼却されることなく年々積み重ねられたことだけは分かりますが…。出雲独特のものなのかは別として、諏訪とは確実に異なる「神祭り」の一端を見た思いがしました。その向こうに、長い年月で腰が曲がってしまったのか、お辞儀をしたままの小さな石祠がありました。

女神の千木

 帰り際に、案内板の写真をメモ代わりに撮っていたら、停まった軽トラの窓から声が掛かりました。近くには「荒神谷遺跡」という超メジャーな“観光地”があります。そのため、多分誰も振り返らない案内板の前に立つ私の姿が、彼の注意を惹いたのでしょう。
神代神社の千木 “案内板通り”の話は別として、「神代神社は女の神様なので、千木の先が平(地面と並行)になっている」と言います(右写真)。しかし、持てる知識は雑誌で得た「男神・女神は鰹木の奇数偶数」でしたから混乱しました。それを見て取ったのか、わざわざ車から降りて案内板写真の千木を指でさしてくれました。ここで完全に理解できました。
 しかし、今まで見てきた諏訪大社を含めた千木が、尖っているのは当然としても具体的な形状が浮かびません。明日は出雲大社だから、と素直に自分の知識に加えることにしました。
 その理由は聞き損ねましたが、「鳥居がない代わりに灯籠を建てた。氏子が15人(軒)」などの話を聞くことができました。そろそろ頃合いと「荒神谷周辺の神社を訪ねているが」と持ちかけてみました。すると、「みつがね」と返ってきました。字(あざ)「三絡」がその「みつがね」であることはすぐ分かりました。諏訪神社の名を口にしましたが、全く知らないようでした。

社日様

 自宅で出雲関係のサイトを見る中で、前述の石柱が「社日」様であることが分かりました。しかし、なぜ、産土神が天照皇大神以下五柱と入れ替わっているのかまでは分かりませんでした。