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上河戸 諏訪神社 島根県江津市松川町上河戸 20.5.16

河戸諏訪神社 GPSに神社の表記がないので、「上河戸」の文字上にセットしました。指示通りに川を渡ると1.5車線巾です。対向車が来ないのを祈るばかりでした。
 軽トラの横に農作業中の男性がいます。「諏訪神社」を尋ねると、汗びっしょりの顔を拭きながら指差した先が写真の鳥居でした。少しでも情報を、と話を長引かせる中で、これも諏訪大社との縁でしょうか、神社総代だと自ら名乗りました。「氏子は24軒」という数字が出ましたが、神社の起源は「かなり古い」だけでした。いきなりの問いかけでは無理もないでしょう。
 話の後半で、「諏訪神社で『砂時計』のロケがあった」と言います。フィクションには興味が薄れてしまった年代なので、問い正すと「テレビドラマが映画化されて…」と返ってきました。島根県では知られているようですが、私は初耳です。「そーなんですかー。じゃー、総代へ真っ先に話があった!!」と、御礼の意味を込めた彼を持ち上げる会話ができなかったのは残念でした。

上河戸諏訪神社拝殿 石段を上りきると拝殿です。「鍵は掛かっていないから」との意外な“申し出”があったので、「それでは写真を撮らせていただきます」とこちらも申し出ました。諏訪からわざわざ来た自分に向けた特別の好意だったようです。
 拝殿の戸を開けると、正面の賽銭箱に神紋の「明神梶」が光っていました。下を見ると、畳にネズミの糞が…。子供の頃は決して珍しいものではありませんでしたが、…久しぶりに見ました。迷ったのですが、よく靴底を拭いてからそのまま上がりました。

上河戸諏訪神社拝殿 木組みは、と上を見上げると、長野県遠山郷の湯立て神事で見られる、釜の上に吊ってある「紙飾り」状の色紙が下がっています。畳敷きであるのはわかっていましたが、改めて下を見てしまいました。
 かつては土間で、湯立ての神事が行われた名残が、その飾りとして残っているのでしょうか。諏訪大社の前身諏訪神社の祝詞段に「湯立て」が出てきますから、その神事も伝わったのでしょう。拝殿の鴨居には感謝状や写真が掛かっています。諏訪大社の写真もありました。

上河戸諏訪神社本殿 ここは土足ではまずいとサンダルを脱いで近づきました。足裏の接地面を最小にして撮ったのが左の写真です。本殿前に提げられた提灯ですが、右側は大きく破れ、まさに「お化け提灯」です。左は底が抜けただけで、原形を保っていました。提灯に描かれた赤い神紋は、なぜか「三つ柏」でした。
 もうここに立つことはない。さりとて長居はできないと、拝殿の天井と四方を見納めてから、総代の好意に感謝しつつ扉を閉めました。

上河戸諏訪神社本殿 本殿の写真は撮り終えました。さて、他にも諏訪神社の証が、と火袋がないために圧縮したような灯籠のコケを払ったら、その一部も剥がれてしまいました。出雲でよく見られる「来待石」は耐候性がないようで、ほとんどが大きく剥離しています。
 年号はわからず仕舞いでしたが、対になる本殿反対側の竿に「文久二年(1862)」の銘を見つけました。その傍らにある、寸角の石柱にも「嘉永六年(1853)」とあります。これも本殿の両側にありましたが、その用途はわかりません。

上河戸諏訪神社

 二之鳥居前の左右が平坦になっています。気になったので、帰り際に奥まで踏み入れてみました。山際に標柱があり、正確な文面は忘れましたが「急傾斜地災害対策」で、2軒の立ち退きがあったようです。
 諏訪神社ゆえに出会えた、島根県の江川(ごうのがわ)支流に面した小さな神社でした。初(しょ)っぱなから神社総代に会えるなど幾つもの思い出をいただき、拝殿や鳥居を何回も見返りながら島根県の諏訪神社を後にしました。