諏訪大社と諏訪神社トップ / 諏訪神社メニュー /

象潟諏訪神社 秋田県にかほ市象潟関 20.7.18

 『神社本庁』のサイトで、秋田県にある諏訪神社のリストを見ました。「にかほ市象潟(きさかた)町関三平田57」と、住所だけは完璧です。しかし、GPSは諏訪神社を表示せず、頼みの道路地図にも載っていません。自宅なら検索できるのですが、手抜きの、それも出掛けのメモだけではお手上げです。

 象潟は初めてではないので、すでに合併して「にかほ市」になっていたことはわかっていました。国道沿いということもあって、その、にかほ市警察署で訊くことにしました。受付で広げてくれた住宅地図では、「諏訪神社」の参道は余りにも狭く(見え)、一つ手前の道から入ることにしました。「立石」の交差点(信号)に近づくと、GPSは「関」だけを表示しました。
 国道7号沿いを手前から注視していましたが、路上駐車ができるスペースはありません。予定通り、神社の手前を左折しました。ところが、直ぐに現れた踏切の1.5車線幅を見て恐れをなしました。都合よく右手前に空き地があったので、不整地ながら頭を突っこみました。これで駐車場の心配はなくなりました。
 踏切から、線路敷直近に石橋があり灯籠も見えます。諏訪神社に間違いありません。渡り終えると右手に入口がありますが、ロープが張ってあります。社地の周囲をほぼ半周しますが、土塁で囲われて入口がありません。居合わせた男性に尋ねると「…国道の鳥居から…」と言います。「ロープ」を口にすると、「そこから入ってもいい」と返ってきました。ようやくここまで来た、と一つの「張り」がなくなると、今日一日ため込んだ汗が不快の膜となってどっと全身を包みました。

象潟諏訪神社

象潟諏訪神社 拝殿は閉じられ本殿も覆屋で“密封”されています。由緒書きがないので、これと言って紹介できるような対象物がわかりません。一通り撮り終えたら「にかほ市温泉保養センター・はまなす」へ、と考えた矢先でした。声の方向へ顔を向けると、先ほど案内を請うた人が「(私の車の)諏訪ナンバーを見て気になったと」と近づいてきました。
 諏訪大社へ行ったことがあると四宮を全て口に挙げました。「諏訪」という共通のキーワードを共有しているので、私の「質疑」に彼がよく「応答」してくれます。どちらからともなくしゃがみ込んで長期戦に備えました。腕にたかる蚊を追い払う中で、以下の内容を聞き出すことができました。

 拝殿と覆屋の瓦は最近葺き替えた。詳しくはわからないが「信濃守」が諏訪神社を勧請した。左の社殿は「神明社」。「須田三兄弟」が、この関郷の神社(宮司)・寺(住職)・村方になった。社地は広く海まである。参道は、国道と国鉄(JR)に絶ち切られてしまった。右の土蔵にある神輿は、お祭りには線路を横切って繰り出す。暖かいので雪は少なく、境内にタブ(の木)がある。有名な「占い」がある。
関村の開祖「御三家」

 訛りがあって1/3は聞き取れなく記憶違いもあると思いますが、私には大変興味のある話でした。

作占い「お試し神事」

象潟諏訪神社「作占い」 初めは2間四方の「大きな空井戸」としか見なかったのは、「占い」の祭場でした。
 (現在は)6月の第一日曜日の例大祭一週間前に「砂の基台に米一升を盛り幣帛を立てる」「例祭日に、御幣の倒れ具合で今年の作占いをする」(それは宮司がするのかと聞いたら)「宮司ではなく世襲の家があってその戸主が占う」(今年の作柄は、と聞くと)「平年並みだった」「上に張ってある糸は、鳥がイタズラしないようにするため」「当日の神事は、各局のニュースで流される」「中の落ち葉は来年まで掃除をしない」と、中をのぞきながら解説してくれました。
 中央には30×40cmの遺構が残っており、隅には神事に使われた幣帛その他がまだ立て掛けられています。知らなければ、写真も撮らずに帰ったでしょう。

象潟諏訪神社 「ここから見える(国道沿いの)鳥居の先に大きな鳥居がある」との話に、ついでだから海まで行ってみようか、と思い立ちました。線路を跨いで二之鳥居下に立つと、正面は慰霊碑や顕彰碑が横一列に並んでいます。それを避けるように参道が右にずれているのが気になります。しかし、現在もある松並木は動かしようがないので、参道は昔からこの位置だったのでしょう。先に、鳥居の先に家が立ちふさがるようにある不自然さを訊いたところ、「須田」さんの名前が出ましたがよく理解できませんでした。

象潟諏訪神社 参道は、右の家を避けるようにやや左へ曲がり、旧街道と思われる道に斜めに合流しています。その終着点に一之鳥居がありました。拝殿からは約200mでしょうか。振り返ると、見通しは利きませんが、鳥居だけは、拝殿と二之鳥居の延長線上にあるようです。
 さて、仕上げは「海」ですが、その先畑中の小道を伝うと直ぐに崖上に出ました。砂浜と海までは少し距離があります。道は左に下りその先は浜まで達しているようですが、鳥居の前が白砂と松・その先に白波が打ち寄せて・沖の帆掛け船、は無理としても絵葉書のようなイメージを膨らませていたので、ここで引き返すことにしました。

 夕涼みでしょうか。おばあさんが何をするのでもなく佇んでいます(後で思ったのですが、私を不審者と見ていたのかも知れません)。「嫁いできた頃には両側に松があった。御神輿が通って賑やかだった」と話を聞いたので、左右に目を配りながら戻りました。往時には気が付かなかった太い切り株が幾つも並んでいます。似たような断面から、寿命ではなく松食い虫が原因で枯れたようです。今しも目の先に一本、茶色の葉を付けた松が見えました。参道脇に接して大きな家があります。表札を何気なく見ると「須田」さんでした。

 決まった予定がない足任せ興味任せの旅ですが、今日は象潟諏訪神社で終わりを告げようとしています。国道を間にして、二之鳥居の周辺を改めて眺めると、右手に「村社諏訪神社」の社標がありました。ここでフと思ったのが、GPSの地図に神社を載せる基準です。旧社格の郷社以上でないとふるい落とされるのでしょうか。

象潟諏訪神社の鳥居 折しも隣の警報機が鳴り始めました。すでに夏至から一ヶ月経過の6時半を回っている明るさです。しかも、国道を挟んでいますから望遠は必須です。無理を承知で入魂の一押しをしました。電車は白黒青の帯にしか見えませんが、(手振れ補正の助けもあって)ブレていませんでした。改めて補足すると、石垣と石段の手前が国道7号で、二ノ鳥居、踏切ではない羽越本線の鉄路と繰(ぐ)り石、短い石橋を渡って境内入り、右に手水舎を見て最上部の写真へと続きます。これが、象潟諏訪神社の表参道でした。

 翌日、象潟の山手にある「奈曽の白滝」を見たついでに寄った金峰神社の灯籠に、奉献「須田」を見ました。芭蕉縁の、現在は小丘となった「能因島」上にある石碑にも「須田安右衛門建立」を見つけました。事実はわかりませんが、面白おかしく言うと、須田三兄弟によって諏訪神社がある「関」郷が牛耳られていた、となります。