『神社本庁』のサイトで、秋田県にある諏訪神社のリストを見ました。「にかほ市象潟(きさかた)町関三平田57」と住所だけは完璧ですが、カーナビは諏訪神社を表示せず、頼みの道路地図にも載っていません。自宅ならパソコンで検索できるのですが、メモ書きではお手上げです。
やはり、頼りとなるのは警察です。にかほ市警察署の受付で広げてくれた住宅地図で、諏訪神社周辺の道を頭に入れました。目標とした「立石」の交差点(信号)に近づくと、カーナビは「関」だけを表示しました。それからすぐに諏訪神社は確認できましたが、路上駐車ができるスペースはありません。予定通り、神社の手前を左折しました。ところが、直ぐに現れた踏切の先に続く道は1.5車線幅です。都合よく右手前に空き地があったので、不整地ながら頭を突っこむことができました。
踏切から、線路敷直近に石橋があり灯籠も見えます。諏訪神社に間違いありません。渡り終えると右手に入口がありますが、ロープが張ってあります。社地の周囲をほぼ半周しますが、土塁で囲われて入口がありません。
居合わせた男性に尋ねると「…国道の鳥居から…」と言います。「ロープ」を口にすると、「そこから入ってもいい」と返ってきました。ようやくここまで来たという一つの「張り」がなくなると、今日一日ため込んだ汗が不快の膜となってどっと全身を包みました。
拝殿は閉じられ本殿も覆屋で“密封”されています。由緒書きがないので、これと言って紹介できるような対象物がわかりません。
一通り撮り終えたら「にかほ市温泉保養センター・はまなす」へ、と考えた矢先でした。声の方向へ顔を向けると、先ほど案内を請うた人が「(私の車の)諏訪ナンバーを見て気になった」と近づいてきました。
諏訪大社へ行ったことがあると四宮(※春宮・秋宮・本宮・前宮)を全て口に挙げました。「諏訪」という共通のキーワードを共有しているので、私の「質疑」に彼がよく「応答」してくれます。どちらからともなくしゃがみ込んで長期戦に備えました。二人とも腕にたかる蚊を追い払う中で、以下の内容を聞き出すことができました。
訛りがあって1/3は聞き取れなく記憶違いもあると思いますが、私には大変興味のある話でした。
「大きな空井戸」としか見なかったのは、6月第一日曜日の例大祭一週間前に行われる「占い」の祭場でした。
これには「砂の基台に米一升を盛り幣帛を立てる」「例祭日に、御幣の倒れ具合で今年の作占いをする」と説明があります。
それは宮司がするのかと訊けば「宮司ではなく、世襲の家があってその戸主が占う」今年の作柄には「平年並みだった」と言い「上に張ってある糸は、鳥がイタズラしないようにするため。当日の神事は、各局のニュースで流される。中の落ち葉は来年まで掃除をしない」と、中をのぞきながら解説してくれました。
中央にはおよそ30×40cmの砂山が残っており、隅には神事に使われた幣帛や祭具がまだ立て掛けられています。知らなければ、写真も撮らずに帰ったでしょう。
「ここから見える(国道沿いの)鳥居の先に大きな鳥居がある。その先は海だ」と聞いていたので、鳥居の写真を撮るついでに海まで行ってみようと思い立ちました。
踏切ではないので線路を跨いで二之鳥居下に立つと、正面は慰霊碑や顕彰碑が横一列に並んでいます。それを避けるように参道が右にずれているのが気になりますが、現在もある松並木は動かしようがないので、参道は昔からこの位置だったのでしょう。
参道は、右の家を避けるようにやや左へ曲がり、旧街道と思われる道に斜めに合流しています。
その終着点に一之鳥居がありました。拝殿からは約200mでしょうか。
旧道と思われる道から振り返ると、見通しは利きませんが、鳥居だけは、拝殿と二之鳥居の延長線上にあるようです。
さて、仕上げは「海」ですが、畑中の小道を伝うと直ぐに崖上に出ました。道は左に下りて海まで達しているようですが、砂浜までは少し距離があります。
鳥居の前が白砂と松・その先に白波が打ち寄せて・沖に帆掛け船は無理としても絵葉書のようなイメージを膨らませていましたが、想像するだけで引き返しました。
夕涼みでしょうか。おばあさんが何をするのでもなく、こちらを向いて佇んでいます(後で思ったのですが、私を不審者と見ていたようです)。
「嫁いできた頃には両側に松があった。御神輿が通って賑やかだった」と話を聞いたので、左右に目を配りながら戻りました。
往時には気が付かなかった太い切り株が幾つも並んでいます。似たような断面から、寿命ではなく松食い虫が原因で枯れたようです。今しも目の先に一本、茶色の葉を付けた松が見えました。参道脇に接して大きな家があります。表札を何気なく見ると「須田」さんでした。
決まった予定がない足任せ興味任せの旅ですが、今日は象潟諏訪神社で終わりを告げようとしています。国道を間にして、二之鳥居の周辺を改めて眺めると、右手に「村社諏訪神社」の社標がありました。ここでフと思ったのが、GPSの地図に神社を載せる基準です。旧社格の郷社以上でないとふるい落とされるのでしょうか。
折しも隣の警報機が鳴り始めました。すでに夏至から一ヶ月経過の6時半を回っている明るさです。しかも、国道を挟んでいますから望遠は必須です。無理を承知で入魂の一押しをしました。
電車は白黒青の帯にしか見えませんが、(手振れ補正の助けもあって)ブレていませんでした。改めて補足すると、石垣と石段の手前が国道7号で、二ノ鳥居、羽越本線の鉄路とグリ石、短い石橋を渡って境内入り、右に手水舎を見て最上部の写真へと続きます。これが、象潟諏訪神社の表参道でした。
国道開通前(旧道から)の参道を歩く人は皆無と思いますから、Googleマイマップに表示させてみました。
翌日、象潟の山手にある「奈曽の白滝」を見たついでに寄った金峰神社の灯籠に、奉献「須田」を見ました。芭蕉縁の、現在は小丘となった「能因島」上にある石碑にも「須田安右衛門建立」を見つけました。事実はわかりませんが、面白おかしく言うと、須田三兄弟によって諏訪神社がある「関」郷が牛耳られていた、となります。