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金野諏訪社 下伊那郡泰阜村 18.5.5

泰阜村 下伊那郡にあるという重要文化財の諏訪社。ネットで検索すると泰阜(やすおか)村の「金野」にあることがわかり、その名も金野諏訪社でした。次は地図です。神社の位置は不明ですが金野の字(あざな)が見つかったので、国道からJR飯田線唐傘(からかさ)駅付近を通るルートに決めました。

 心配した道幅はそこそこでしたが、いきなり合流したのが県道「1号」でした。「こんな所に」と書くと地元の人には失礼に当たるかもしれませんが、最重要幹線道路と言うより、(多分)県が初めて指定したのがこの道路ということなのでしょう。
 カーナビは「金野諏訪社」を表示しないので、住所の「泰阜村・金野」をセットしていました。ところが、「目的地です」の声を聞いてからすぐに「諏訪社入口」の看板が見えました。その先は自分で決めるしかありませんが、間もなく「重文・諏訪社」の標柱が見つかりました。駐車場が見当たらないので、行きつ戻りつの結果、最初の案内板脇の東屋もある小広場に置かせてもらいました。少し離れていますが、最近は余裕がある限り積極的に歩くことにしています。

金野諏訪社の境内 金野諏訪社境内の中央に立つと、半袖のTシャツにあたる「これぞ5月」という風が心地よく感じられます。松風ならぬ杉風がフッと収まると、この地では全く縁がないはずの、くぐもった車の走行音やバイクの甲高い空ぶかしが流れてきます。振り返ると自宅のある八ヶ岳の裾野と違い、幾重にも重なった霞んだ山並みだけが見えます。そのいずれかの底から伝わってくるのでしょう。

金野諏訪社・若宮八幡宮本殿

金野諏訪社

 拝殿から、覆屋の奥にある金野諏訪社の本殿を覗きました。左が諏訪社本殿・右が若櫻社が相殿になった若宮八幡宮本殿と、室町時代の社殿が二棟並立していました。

金野諏訪社本殿
「諏訪社本殿」一間社流造・板葺

 ここへ来る途中、下條村の大山田神社を参拝していました。その同じ重文指定の大山田神社ですが、規模といい装飾といい、すべてが立派でした。そのため、どうしても、諏訪社と若宮八幡社が「みすぼらしい・粗末」という印象がぬぐえません。しかし、「山高きが故に尊からず」と同じですから、質実(剛健)と評価するべきでしょう。

金野諏訪社「若宮八幡宮本殿」
「八幡宮本殿(相殿に若桜社)」二間社流造・板葺

 領主など有力なパトロンによる造営では、中央(都)や近在の高名な棟梁を招くことができます。しかし、案内板に「旧金野村の産土神」とあるように、村人が総力を挙げても、その当時の暮らしではこれが精一杯だったのでしょう。
 それにしても、造りが簡素にもかかわらず現在まで存在し続けたというのが驚きです。それだけ、村人の崇敬を集めて今日まで大事にされてきたことになります。

金野諏訪社の覆屋 諏訪社の本殿と若宮八幡宮本殿は「覆屋」で保護されています。この覆屋も本殿の「附(つけたり)」として重要文化財に指定されていました。
 下半分が板と波トタンで囲われているだけで上部は梁と筋交いのみですが、壁に板が一部残っていることから、かつては全てが覆われていたと思われます。現在は「実に風通しがよい」という状態ですから、拝殿から本殿を参観した時には注連縄の紙垂(しで)が揺れていました。

県道1号

 自宅で「県道1号」を検索すると、「長野県道・愛知県道・静岡県道1号飯田富山佐久間(とみやまさくま)線」という長(ー)い名前が付いています。「長野県飯田市を起点とし、愛知県北設楽郡豊根村(旧富山村)を経由し、静岡県浜松市に至る主要地方道である」ともあり、元祖「三遠南信自動車道(ごく一部を除き未着工)」ではないかと“感心”しました。
 長野県では1号でも、愛知県や静岡県に入ると何号になるのか心配しましたが、予想に反し同じ名前のままでした。また、全線走破を目的とする「県道一号ファン(マニア)」がいるのも知りました。しかし、国道1号とは違います。国道や他の県道との共用部分もありますから、番号だけ見れば格下の県道に変わったり、私も帰りに経験しましたが一車線幅ですれ違いも難しい部分があります。周到な準備をしマンナビ(人間のナビゲーター)も必要でしょう。

 後に調べた「泰阜村誌」では、旧・金野村の氏神社で、武田領時代に在住した上伊那郡片桐氏の分流「前沢若狭守」が建立したとありました。