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北熊井諏訪社 塩尻市片丘 16.4.11

北熊井諏訪神社と舞姫 写真と書き出しの文がずれていますが、まずは北熊井諏訪社へ行く経緯から…。
 新聞に「舞の練習」と大きなカラー写真が載っていました。北熊井諏訪社に「浦安の舞」を子供が奉納するというものです。例祭日を追うと日曜日の11日とあります。当日は諏訪大社下社の御柱祭「山出し」最終日ですが、“芋の子”になる元気もないので塩尻を選択しました。何よりも緋袴を着けた姿に惹かれたからです。それにこのサイトにふさわしい北熊井「諏訪社」です。

北熊井諏訪社本殿

 まだ閑散としている境内を奥に見ながら参道を進むと、拝殿前の提灯に赤い神紋「諏訪梶」が確認できました。(上写真の)拝殿の屋根上に大きくそびえる赤い屋根に「なんか不似合いだなー」と横へ回ると、それは覆屋でした。本殿が大きいので、その役目を果たすためにさらに大きくしたのでしょう。結果として景観のバランスが崩れてしまったようです。

北熊井諏訪神社本殿 20.4.11 雨風をガードする覆屋が大きいので県宝の北熊井諏訪社本殿がより小さく見えます。廻縁の下まである彫刻が見事ですが、拝殿が接近しているために本殿の正面は一部しか見えず、神紋が刻まれているのかさえ確認できません。どのような形の梶か楽しみにしていたので残念でした。
 (調べずに来たので)午前中に始まると見込んだお祭りですが、余りのゆったりした人の流れに不審を持ちました。訊くと「午後2時開始」でした。

北熊井諏訪社の例祭

 出直した午後2時。神楽殿で(後で知った)「湯立ての舞」が始まりました。太鼓に合わせて宮司と思われる神職が舞うのですが、幾分にも年配者なので真面目に踊るほどおかしみを感じてしまいました。
北熊井諏訪社例祭 袴姿の女性に介添されてしずしずと舞姫が昇殿します。今年は「小学6年生が9人と多いので二組に分かれて奉納する」とアナウンスがありました。今が旬の乙女達が扇舞と鈴舞を演じる「浦安の舞」にしばし見とれました。真剣な眼差(まなざ)しは衣装とも相まって神に仕える巫女にも見え、幼なさが残る顔は純真な神子のようでした。数年後、その頃ルーズソックスが健在であったら彼女たちも履くのでしょうか。

 子供神輿や諏訪と違う節回しで長持ちが三竿ギーコギーコと練った後は「御神馬(ごしんめ)」の神事です。
北熊井諏訪社例祭「御神馬」「おー、白馬だ!」とその登場に声が出掛かりました。農耕馬と思っていましたから、シャンプーすれば純白になりそうな姿にうれしくなりました。慣れない人混みに一度は興奮して手綱の引き手を慌てさせましたが、社殿をゆっくり3周する大役を果たし、最後は拝殿内で見守る役員や舞姫と対面しました。
 湯立ての神事は何時やったのか、と気が付いたのは、濡れた地面と消し炭になった薪の破片を見たときでした。御神馬に気を取られてすっかり忘れていました。

北熊井諏訪社の例祭日

 諏訪大社の大祭は、4月中旬が「御頭祭(酉の祭)」で8月末が御射山祭です。全国にある諏訪神社の例祭は、そのどちらかに合わせて行われているのは知られています。北熊井諏訪社の例祭も、今の事情に合わせて「酉の日」に一番近い日曜日を例祭日にしたのでしょう。

「人間御神馬」

 信濃毎日新聞のサイトに「熊井諏訪社の御神馬」の記事がありました。「耕耘機の登場で馬がいなくなったので中止することになった。しかし、それなら自分たちが走れば、と声が挙がり《人間御神馬》として神事が続いた」というものです。これも“見もの”だと思いましたが、前述のように現在は馬が登場しています。

現在は削除されている。

御頭祭(大御立座神事)

 「今では北熊井諏訪社だけに残っている」というアナウンスから、諏訪神社上社(現諏訪大社)の御頭祭を思い出しました。外県御立座(ととあがたみたてまし)神事」では、出立の前に、「神使(おこう)」が神殿(ごうどの)の周りを馬で3周するとあります。総本社でも廃れた神事が「御神馬」として、塩嶺峠を越した塩尻の地に残っているのが面白く不思議でした。

湯立神事

 かつては、諏訪大社(諏訪神社)でも湯立て神事が盛んに行われていました。北熊井諏訪神社ではこれも伝えられ、現在でも残っていることになります。


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