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下黒田諏訪神社(黒田人形浄瑠璃) 飯田市下黒田 21.4.12

 飯田市内に入りましたが、「飯田バイパス」の渋滞に懲りたことがあったので旧道を選びました。そろそろカーナビ推薦の道に合流しようか、と液晶画面に目を移すと、隅に「諏訪」を表示しています。飯田市で知っている「大宮諏訪神社」は市の中心部にありますから、地名でなければ、残りの「◯◯」は神社の可能性があります。そのまま中央自動車道沿いの道を進むと、「諏訪神社」をフルに表示しました。信号の「下黒田」に、記憶が「飯田市の黒田なら農村歌舞伎」と反応しました。
 車を降りると、何かお祭りのような騒がしさです。赤い提灯とテントを見ながらその音源を探すと、何と舞台です。ここで気が付きました。歌舞伎ではなく、「人形浄瑠璃」の黒田でした。そんな、人には言えない貧知識ですが、さっそくカメラを取り出しました。

下黒田諏訪神社

人形浄瑠璃を見る観衆「下黒田諏訪神社」 多分、午後も2時近いと言う時間帯が幸いしたのだと思います。観客も少なく写真も自由に撮れました。「黒田人形浄瑠璃が本題ではない」というわけではありませんが、テントが邪魔で、拝殿・本殿を全景にした舞台を撮ることができません。仕方なく、逆方向から拝殿と本殿(覆屋)を撮ってみました。因みに、右手前に一部写っているのが舞台です。

下黒田諏訪神社の本殿 覆屋がありますが、囲いが透かし板なので、一部ですが本殿の写真を撮ることができました。祭り日のためでしょう。「諏訪梶」の定紋幕が掛かっています。榊もまだ青々としています。
 現在では、神社が賑わうのは正月と例祭日だけでしょうか。(結果としてですが)本殿が“輝いている”写真を撮ることができました。

下黒田諏訪神社「本殿彫刻」

 本殿正面の撮影を申し出ると、拝殿詰めの役員にあっさりと断られました。しかし、年一回のチャンスです。こちらから「提灯の前から撮る」条件を提示すと、ようやく拝殿に上がる許可を頂きました。ところが、肝心の龍の顔が電球の下に…。

下黒田諏訪神社舞台「人形浄瑠璃」 「現存する黒田人形舞台は、天保11年(1840)に建てられたものです。間口八間(13.4m)・奥行き四間(6.4m)の総二階建瓦葺出桁造りで、亀甲梁というテコの原理を利用して正面間口に柱がない構造となっています。」とあるのは舞台の案内板です。しかし、「出桁」は見ての通りですが、「亀甲梁」は何のことなのか理解できません。

 国選択無形民俗文化財の「黒田人形浄瑠璃」です。そちらが超有名とあってか、私には「神社縁起」を見つけることができませんでした。「神社縁起」即ち「黒田人形浄瑠璃」といったところでしょうか。

下黒田諏訪神社の「神紋」

 舞台屋根の「獅子口」に神紋が見えます。自宅のモニターで見ると、左右で古さに差がありました。右の新しい瓦は社務所側から撮りました。左は古いように見えますが、建築当時のものかどうかはわかりません。見慣れた「立穀(梶の一枚葉)」とは少し違いますが、諏訪神社なので「梶紋の一つ」としました。因みに、鳥居は「諏訪神社」、拝殿の掲額は「諏方宮」でした。

黒田人形浄瑠璃舞台の「亀甲梁」

 「亀甲梁」をネットで調べてみると、「梃子の原理を応用して長大な桁を跳ね上げるようになっている」と、ややましな説明が出ました。

下黒田諏訪神社「舞台の亀甲梁」 左写真を見てください。内側の柱を支点(△)にして、(で分離している)二階の重量を背負った柱の下端が一階の梁端を押し下げています。この構造では下の柱は必要ありませんが、美観の面から取り付けられているので一本柱のように見えます。

 しかし、理屈はわかるのですが、いくらテコといっても梁が長く重すぎるし支点の柱も貧弱です。ところが、舞台全景の写真を見直して納得しました。左側も同じ構造だったからです。「テコは片側」という先入観が原因でした。早い話が、「貫(ぬき)がない鳥居の笠木両端に力をかけて亀甲梁、中央部の重量を反転させる工法」と言ったところでしょう。また、「亀甲(六角形)」からはほど遠い形状ですが、両端が変形して下へ曲がれば亀甲となり、「半亀甲梁」と言えなくもないでしょう。
 ここにきて「ただし、」というのも申し訳ないのですが、この説明でいいのかは保証できません。ネットの記述「跳ね上げる」から、(見えない)内部に大がかりな亀甲形の構造物がある可能性もあります。

 最後になりますが、「黒田人形浄瑠璃」でこのページを開いた方には申し訳ない結果となりました。しかし、見方を変えると、ネット上では「黒田人形浄瑠璃」のサイトばかりですから「大ヒット」となったかも…。