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諏訪開諏訪神社 京都市下京区諏訪開町  20.11.19

 名称は、鎮座する諏訪開町に因んで「諏訪開諏訪神社」としました。

 京都駅から、直線距離で1kmにも満たない所に諏訪神社があります。住所は「下京区諏訪開町(すわびらきちょう)」ですから、「諏訪神社(現諏訪大社)の分社が京都のここで開かれた」と言えるでしょうか。地図でその周辺を見ると、かつての諏訪神社の社域を思わせる、西本願寺の境内に沿う南北の道「大宮通」があります。「突抜町」や「西酢屋町」には「?」ですが、「夷(えびす)馬場町」は諏訪神社の「流鏑馬馬場や犬射馬場」と“拡大解釈”をしてしまいます。
 地図を見ているだけでは何も始まらないので、紅葉の京都にはまだ早いのですが「古都の諏訪」へ出かけました。

 この秋一番の冷え込みとなった朝、西本願寺の国宝「唐門」を見てから諏訪神社へ向かいました。
 今日は「これがあれば絶対に迷わない」という詳細地図を持参しましたが、まさかの「アレッ」となってしまいました。「一旦表通りまで戻って改めて」と考えましたが、丁度「この人なら絶対に知っている」と思われるおばあさんが前から来ます。この時点ではすでに道一本通り過ぎていたため、裏参道とも言える南からの道を教えてもらいました。枡形のような狭い路地の先に赤い鳥居が見えました。

京都にもあった諏訪神社

諏訪開諏訪神社
諏訪神社

 諏訪神社の社地は、三方が平安高校と本願寺の職員住宅及びその駐車場で囲まれ、残る一方だけが諏訪開町の民家でした。写真では左の民家も同じことが言えますが、ここが神社でなければ「とっくに本願寺に呑み込まれていたのでは」という特異な環境でした。
 平成19年建立とある石鳥居をくぐった目の前は、拝殿兼覆屋の側面でした。左へ回り込むと、社務所と思われる小屋の前に建材や電動工具が置かれ、今も大工さんが動き回っています。断ってからそれらを跨いで拝殿の正面に立ちました。余りの狭さに後ろを確認してから拝礼するような有様ですが、それでも京都のど真ん中に今でも諏訪神社が残っており、またそれを祀っている人々がいることに嬉しくなりました。

神木
右が建御名方命の“前立ち”祠

 アクリルの透明シートが貼られている格子から社殿内をのぞくと、何と倉庫です。もちろん全て神社関係のものですが、これで評価が一気に下がってしまいました。しばらくしてから、社務所の改築のために備品を拝殿内に持ち込んだためと気が付きましたが…。
 提灯や祠の定紋幕が4根の「諏訪梶」なので、諏訪神社上社(現諏訪大社上社)の分社とわかります。場所を変えながらさらに観察を続けると、どうも社殿(祠)の配置が複雑のようです。

諏訪開諏訪神社
左が神木の椋の木で、右が建御名方命の祠

 最前列に飛び出た格好の木祠が「建御名方命」の社殿です。その背後が外からでも仰げる「椋(ムク)の神木」です。さらにその後には、暗くてハッキリとは見えませんが、その色からかなり古そうな小さな祠があります。その左右にやや大きな「八坂刀売命」「大国主命」と書かれた祠が並んでいます。
 初めは三棟が横一列に並んでいたが、前の椋の木が大きくなり過ぎたために(見えなくなった)建御名方命の祠を新調して神木の前に安置したと考えました。大工さんに訊くと、「子供の頃は清水寺と同じ舞台造りで、向きも逆だったような記憶がある」と言います。何らかの事情で向きを変えたのでしょうか。

蛙狩神事

諏訪開諏訪神社の境内社
「蛙さん」

 最上部の写真では、右半分に当たる境内に様々な境内社がひしめき合っています。その一画に木祠があり、横には注連縄が掛けられたカエルの置物が幾つか並んでいました。原直正さんの「京都諏訪神社と蛙狩神事」を読んでいたので、「蛙さん」と呼ばれる祠と「蛙狩神事の名残」であることがわかりました。

 長野県諏訪の総合月刊誌『オール諏訪』に、郷土史研究家原直正さんの「京都諏訪神社と蛙狩神事」が載っています。「諏訪神社上社(現諏訪大社上社)の神事蛙狩りが、ここでは、30年位前までは形は変わっているが細々と行われていた」という内容です。

(前略) この社は、金井典美著『諏訪信仰史』によれば、下京区下諏訪町の諏訪神社と「対になっていることを今も神官が自覚し」上社としての諏訪開町諏訪神社では、陶器製の蛙を境内に据えて蛙狩神事を形ばかり行っているということであった。 (中略)
 現在の宮司も、また総代役員もこれを実見したことは無いという。しかし、高齢の信者の記憶では、「手作りの的を立てて、信者が弓矢で的を射て命中した箇所により、宮司がその信者に種々説明されていた」ということである。 (中略)
 全国に勧請された諏訪神社は数千社あるというその中で、変化はしているものの、蛙狩り神事を伝える社として、先出の生島足島(いくしまたるしま)神社と共に、この諏訪開町諏訪神社は貴重な存在である。
『諏訪信仰史』は昭和57年の発刊  

カエルと諏訪開諏訪神社 諏訪から見ると“地方の京都”に、蛙狩神事は廃れても、その記憶がカエルの置物となって残っていることに感動しました。ただ、勘違いしてタヌキ単独の置物が増えるのが心配です。
 裏道から来たので、帰りは表参道を通りました。参道といってもただの小路ですが、そこに「七不思議・諏訪神社・参道」の案内板がありました。たまたま(偶然に)諏訪神社に寄った人は、これも見ても、何が「七不思議」かわからないと思われます。現在では、この諏訪開諏訪神社の氏子でも、本社の諏訪大社上社にまつわる「諏訪七不思議」で「元旦の蛙狩神事は、いかなる時でも必ずカエルを捕らえることができる」と明解に答えられる人はいないでしょう。

諏訪開諏訪神社 平安高校のフェンス前から、神木を背後にした拝殿の“正面”を撮ってみました。
 現在の(奇異な)参拝路は諏訪大社上社本宮を模したとは思えないので、手前の更地がかつての参道だったとも思えました。