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鶴ヶ岡諏訪神社 京都府南丹市美山町 20.11.19

 諏訪神社は各所にあるので、地元の地名を冠して(美山町ではなく)「鶴ヶ岡諏訪神社」と表記しました。

 通り道なので、ついでに、と予定していた京都高尾の神護寺・高山寺ですが、余りの賑わいを見ていずれもパスしました。それも淋しいので、「常照皇寺」にだけ寄って周山街道の先・美山町を目指しました。

鶴ヶ岡諏訪神社

美山町鶴ヶ岡諏訪神社
「諏訪神社参道」左がグラウンドで右が校舎

 集落の入口にある空地に車を駐めて、左に「鶴ヶ岡」とある小学校を見ると、その先が諏訪神社でした。
 神社の前に立つと、今来たのは裏参道で、校舎とグラウンドの間に延びているのが表参道と気が付きました。いったん一の鳥居に向かい、正規の参拝路から入り直しました。さて、カーナビ任せでここまで来ましたが、諏訪神社の詳細は全くわかっていません。幸いにして由緒書きがありましたから、そのままを紹介します。

諏訪神社の由来
 当社所蔵の縁起に依ると、当初は大森大明神と号し、和銅六年(713)長井山に初建立云々とあるが、その創建年次は詳(つまび)らかでない。後になって、大長大師円勝坊が大和よりこの地に来て、獣害を除いて土民を安堵させようと、応安二年(1369)に信州諏訪明神を勧請し、現在の地域に社殿を創立して建御名方命を祀った。本社は狼を神使とし、猪鹿退治の守護神として崇敬されている。
 法師は神官を兼ねて、棚・砂木の二村を祈祷布施所とし砂木に狩蔵を作って当社の狩所とした。そして、円勝法師の創始した由緒により、毎年一月五日を御狩の日と定め、神官は草鞋脚絆の扮装で腰に短刀を帯びて、神幣を捧げ持って先頭に立ち、 供奉の村民は弓・槍・銃を持ってその後に従って疾走し、猪・鹿を獲って神前に供える例であった。
 この様式にも変遷はあったが、昭和二十年まで続けられていた。この為、大晦日から正月五日まで、南は川合・相白の境である烏帽子岩に、東は田土、西は松尾の境に忌縄を張って通行を禁じたが、住民はこれを犯さなかった。しかし、これは明治維新のとき廃止になった。
 永和四年(1378)、この地に初建立のときは今の社域の下段にあったが、正徳二年(1712)に神殿を改築して現在の位置に遷した。
 当社は、十五年目毎に大祭典を挙げ、古くよりその規模の大きさに於いて棚野の千両祭りと言われた。盛郷・福居は刀踊、豊郷は振踊、高野・鶴ケ岡は神楽を献進することになっているが、その起源・沿革は明らかでない。この振踊りは室町時代の民間舞踊の遺風を存するものであると謂う。

 文中に「本社は狼を神使とし」とあります。「当社」ではなく「本社」と断っていますから、現在の諏訪神社の総本社「諏訪大社」のことでしょう。諏訪大社にはそのような“こと”はありませんから、「狼」から秩父の「三峯神社」を混同しているように思えます。

美山町「諏訪神社の神木の杉」 左は、灯籠の神紋が気になったので、背後に神木のスギと二股の間に生えた小さなケヤキを入れて撮ったものです。
 自宅に帰ってからの話ですが、この杉は京都府指定の天然記念物と思われます。断定できないのは、現地に指定の案内板がなかったからです。左側半分がありませんから、指定が解除になったのかもしれません。
 「天然記念物」ということで急きょ“表舞台”に浮上しましたが、灯籠をメインにしたので、木姿はよくわかりません(悪しからず)。それより、灯籠の神紋に注目してください。何と「交差した鎌」です。諏訪神社(系)でも「梶」とは限りませんが、鎌紋は初めて見ました。

美山町鶴ヶ岡諏訪神社 道一つ隔てた背後は美山町鶴ヶ岡小学校です。チャイムが聞こえると、子供達が給食をほおばっている姿が浮かびました。私もそろそろ、ですがまだその時ではありません。
 楓を入れるためにグラウンド近くから撮りました。そのために屋根が隠れてしまいましたが、覆屋の屋根なので“問題”はありません。風が強い上に日陰なので指先が冷たく感じます。

美山町「鶴ヶ岡諏訪神社本殿」
諏訪神社本殿

 覆屋の下には、大きな社殿と一回り小さな社殿が並んでいます。「諏訪神社」とあるからには、前に唐門仕様の拝門がある左の大きな社殿を諏訪神社本殿としたいのですが、決めかねます。
 実は、一壇低い境内中央に拝殿があり、ガラス越しに覗いた(本殿側に当たる)鴨居中央に「正一位上大森大明神」の額が懸かっていたからです。そうなると、その向こうの大きな本殿が大森神社で、右が諏訪神社とも考えてしまいます。

美山町「鶴ヶ岡諏訪神社本殿」
(推定)八幡神社本殿

 本殿の鬼板や大棟には、神紋があしらわれていることがあります。それを確認しようとしましたが、覆屋が邪魔でまったく見えません。
 いったん下がって覆屋の大棟を見上げると、左に灯籠と同じ「鎌」、右に「鳩」の飾りがありました。このことから、左の社殿が「諏訪神社」で、右を「八幡神社」としました。
 この後、美山町の「茅葺き民家群」を見る予定でしたが、「諏訪明神の招きにあひて取(とる)もの手につかず…」で、綾部市の諏訪神社へ向かいました。

神紋「違い鎌」

神紋「違い鎌」
左が拝門の鬼板で、右が社旗の「違い鎌」

 家紋のサイトを参照すると、「(丸に)違い鎌」でした。「諏訪明神を信仰する人々が用いた」とありますから、諏訪神社の神紋であっても不思議ではありません。しかし、分社ですから、やはり「梶」にして欲しかった…。
 さらに検索すると、美山町の鶴ヶ岡諏訪神社では「御狩」や「例大祭」が今でも行われていることがわかりました。

由来にある「御狩の日」

 『諏方大明神画詞』を読んでいて、「五日と九日」の違いこそありますが、「御狩の日」と内容が酷似している記述があることに驚きました。諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第一巻』から、関係する部分を転載しました。

就中毎年正月九日、村氏(民)門戸を閇(閉)、出入やめて、諏方社御狩して、山林(臨)みて狩猟、猪鹿一得ぬれば則殺生やめ、西宮南宮本地普賢菩薩十羅刹等安立すにたむけ奉、礼奠(典)断絶せず、

 同じ祭礼とすれば、「円勝法師の創始した由緒」が、つい最近(明治初年・昭和20年)まで美山町で行われていたことになります。まさに「礼奠今に断絶せず」でした。