通り道なので、ついでに、と予定していた京都高尾の神護寺・高山寺ですが、余りの賑わいを見ていずれもパスしました。それも淋しいので、「常照皇寺」にだけ寄って周山街道の先・美山町を目指しました。

集落の入口にある空地に車を駐めて、左に「鶴ヶ岡」とある小学校を見ると、その先が諏訪神社でした。
神社の前に立つと、今来たのは裏参道で、校舎とグラウンドの間に延びているのが表参道と気が付きました。いったん一の鳥居に向かい、正規の参拝路から入り直しました。さて、カーナビ任せでここまで来ましたが、諏訪神社の詳細は全くわかっていません。幸いにして由緒書きがありましたから、そのままを紹介します。
文中に「本社は狼を神使とし」とあります。「当社」ではなく「本社」と断っていますから、現在の諏訪神社の総本社「諏訪大社」のことでしょう。諏訪大社にはそのような“こと”はありませんから、「狼」から秩父の「三峯神社」を混同しているように思えます。
左は、灯籠の神紋が気になったので、背後に神木のスギと二股の間に生えた小さなケヤキを入れて撮ったものです。
自宅に帰ってからの話ですが、この杉は京都府指定の天然記念物と思われます。断定できないのは、現地に指定の案内板がなかったからです。左側半分がありませんから、指定が解除になったのかもしれません。
「天然記念物」ということで急きょ“表舞台”に浮上しましたが、灯籠をメインにしたので、木姿はよくわかりません(悪しからず)。それより、灯籠の神紋に注目してください。何と「交差した鎌」です。諏訪神社(系)でも「梶」とは限りませんが、鎌紋は初めて見ました。
道一つ隔てた背後は美山町鶴ヶ岡小学校です。チャイムが聞こえると、子供達が給食をほおばっている姿が浮かびました。私もそろそろ、ですがまだその時ではありません。
楓を入れるためにグラウンド近くから撮りました。そのために屋根が隠れてしまいましたが、覆屋の屋根なので“問題”はありません。風が強い上に日陰なので指先が冷たく感じます。

覆屋の下には、大きな社殿と一回り小さな社殿が並んでいます。「諏訪神社」とあるからには、前に唐門仕様の拝門がある左の大きな社殿を諏訪神社本殿としたいのですが、決めかねます。
実は、一壇低い境内中央に拝殿があり、ガラス越しに覗いた(本殿側に当たる)鴨居中央に「正一位上大森大明神」の額が懸かっていたからです。そうなると、その向こうの大きな本殿が大森神社で、右が諏訪神社とも考えてしまいます。

本殿の鬼板や大棟には、神紋があしらわれていることがあります。それを確認しようとしましたが、覆屋が邪魔でまったく見えません。
いったん下がって覆屋の大棟を見上げると、左に灯籠と同じ「鎌」、右に「鳩」の飾りがありました。このことから、左の社殿が「諏訪神社」で、右を「八幡神社」としました。
この後、美山町の「茅葺き民家群」を見る予定でしたが、「諏訪明神の招きにあひて取(とる)もの手につかず…」で、綾部市の諏訪神社へ向かいました。

家紋のサイトを参照すると、「(丸に)違い鎌」でした。「諏訪明神を信仰する人々が用いた」とありますから、諏訪神社の神紋であっても不思議ではありません。しかし、分社ですから、やはり「梶」にして欲しかった…。
さらに検索すると、美山町の鶴ヶ岡諏訪神社では「御狩」や「例大祭」が今でも行われていることがわかりました。
『諏方大明神画詞』を読んでいて、「五日と九日」の違いこそありますが、「御狩の日」と内容が酷似している記述があることに驚きました。諏訪教育会『復刻諏訪史料叢書 第一巻』から、関係する部分を転載しました。
同じ祭礼とすれば、「円勝法師の創始した由緒」が、つい最近(明治初年・昭和20年)まで美山町で行われていたことになります。まさに「礼奠今に断絶せず」でした。